コメンテーターとしても大活躍しているファッションデザイナー・ドン小西。
そんな彼ですが、一言では語れない壮絶な人生を送ってきました。
今回はそんな彼の人生について紹介していきたいと思います。
プロフィール
生誕 1950年10月9日
出身地 三重県津市
出身校 文化服装学院卒業
職業 ファッションデザイナー
小西は呉服屋の営む母の下に生まれました。
そのこともあってか幼少期から服に対するこだわりは強かったのですが、父親は医者になることを望んでおり、勉強を叩きこまれました。
その甲斐あってか三重大学教育学部付属小学校に進学し、義務教育の機関をここで過ごしました。
中学卒業後は三重大学に付属高校が無いこともあってか、上京して佼成学園高校に入学します。
小西はここで成績に伸び悩み、当初目指していた医学部の受験を諦めて芝浦工業大学を目指しました。
しかしここに不合格となり、結局は滑り止めで受けた明星大学理工学部に進学しました。
大学在学中、小西は見聞を広めるためにロンドンに留学し、そこで煌びやかなデザインの衣装に出会いました。
これによって小西は内に秘めていたデザイナーになるという夢を再び思い出し、留学から帰るとすぐに明星大学を退学しました。
退学後は改めて服飾を学ぶために文化服装学院に入学し、そこを優秀な成績で卒業します。
卒業後はアパレルメーカーのGRASSに入社し、そこで当時アルバイトをしていた舘ひろしと出会いました。
二人はすぐに意気投合し、仕事が終わると毎日のように一緒に飲みに行っていました。
そこで互いに「ビッグになる」と誓い合っていたのです。
自身のブランド
小西は31歳の時遂に独立を果たし、小西良幸デザインオフィスの主となります。
そこで小西は「FICCE」というファッションブランドを立ち上げ、一大攻勢に打って出ます。
当初はかなり苦労していましたが、材料は業者からタダで貰った布切れを使うなど当時としてはかなり常識はずれな戦法に出たことも幸いしてか、徐々に売れ行きは好調になっていきました。
1985年に東京コレクションが発足すると、小西は自身のブランド拡大のために積極的に関わるようになり、小西は一躍トップデザイナーに躍り出ました。
勢いのまま1987年に「YOSHIYUKI KONISHI」という自分の名前を模したブランドを立ち上げ、東京コレクションの頂点に立つこととなりました。
またこの頃はビートたけしや谷村新司などといった有名タレントも小西のデザインした服を愛用するようになり、小西の名声は留まることを知りませんでした。
また東武鉄道や大蔵省から制服のデザインの依頼が来るなど小西の活躍の場はかなり広がっており、その勢いのまま1991年にはファッションデザイナー界最高峰の「毎日ファッション大賞」を獲得することになったのです。
しかしバブルの崩壊により小西のブランドの風向きは変わり、90年代半ばを機に少し陰りを見せました。
小西はこのような状況を打破するために周りの反対を押し切り海外進出をし、1997年にはNYコレクションに参加しました。
この翌年には毎日ファッション大賞と匹敵するFEC賞を獲得し、小西の復権がなされたかのように思えましたが、ファストファッションの台頭によってファッション業界そのものが窮地に立たされたことにより、小西の会社には15億の負債が積みあがったのです。
小西はブランドを売り払ったりして何とか返済しようとしましたが一向に返せず、この借金返済の足しにするためにテレビへの出演を開始しました。
現在
小西は当初は文化人枠で評論家然とした態度でテレビ出演をしていましたが、フジテレビ「とくダネ!」のファッションチェックコーナーに出演してから大きく戦略が変わります。
小西のあまりにも辛口のファッションチェックはデザイナー界では普通の事だったとはいえ、テレビの上では新鮮であり、これ以降「ドン小西」という芸名でファッションチェックなどをするようになりました。
テレビ出演をして知名度が上がるごとに自身の名誉も徐々に回復していき、名古屋学芸大学の講師になったり、三重県の観光大使になったりするなど様々な活躍を繰り広げました。
しかし、そんな小西も決して順調な事ばかりと言ったわけでなく、2012年にはテレビ番組で心臓ドックを受けたところ心臓弁膜症が発覚しました。
小西はすぐに手術をし、何とか回復しました。
ファッション業界に対しても決してあきらめたわけではなく、もう一度自分のブランドを作って再進出し、また売却した「FICCE」にも2016年に参加するなどまだまだ一線での活躍を諦めていません。
いずれにしても小西の今後の活躍には目が離せないです。
いかがでしたか?
小西がかなりのエリート一家だったことは少し意外でしたね。
事業が破綻するという大転落から何とか這い上がってきたあたり、小西のバイタリティの強さが分かります。
まだまだ小西の幅広い活躍を見てみたいので、今後も末永く活躍してほしいですね。