ドラマから映画まで幅広く活躍している俳優、伊原剛志。
そんな伊原ですが、そこに至るまでには一言では言い表せないような壮絶な人生を歩んでいます。
今回はそんな伊原の軌跡について振り返ってみたいと思います。
プロフィール
本名 伊原剛
生年月日 1963年11月6日(58歳)
出生地 福岡県北九州市
身長 184cm
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1982年 –
事務所 IHARAオフィス
伊原は1963年、北九州市にて生を受けました。
伊原は長男であり、後に弟二人と妹二人が誕生します。
また父親は在日朝鮮人であり、伊原が4歳の時に仲間たちが多く住む大阪市の生野区に引っ越してきます。
そこで伊原はすくすくと育ち、中学校時代はラグビー部でエースとして活躍していました。
その後今宮高等学校に進学し、今度はそこでサッカー部に入りました。
伊原は当初は「元を辿れば同じ競技だから余裕だろう」と高を括っていましたが、ラグビーとは勝手の違うスポーツに困惑し、ついていくのに精一杯でした。
しかし伊原はそこでもめげずに練習を重ね、最終的にはゴールキーパーのポストを勝ち取り、最後の砦として試合で活躍を重ねました。
このように伊原はめげずに努力を重ねることに定評のある性格でしたが、高校時代に人生初の挫折をします。
というのも伊原は自身の運動能力を生かすために体育教員になることを目指し、そのために大阪教育大学に入学するために勉強を重ねていました。
しかし進路指導教員から公立高校の教員になるためには日本国籍が必要であることを告げられ、体育教員になる夢を諦めました。
親や教師は私立学校の教員ならなれると伊原を励ましましたが、伊原は何のやる気も湧き立たず、大学受験をすることなく高校を卒業しました。
高校卒業後自宅に引きこもりがちになった伊原ですが、自分の能力を活かせることを考えた結果、俳優がいいのではないかという結論に至り、1982年にジャパンアクションクラブに入団します。
伊原はそこでメキメキと頭角を現し、翌年の舞台『真夜中のパーティ』にて俳優としてのデビューを果たします。
その翌年の1984年には『コータローまかりとおる!』にて映画初出演を果たしました。
また1985年には日本テレビからドキュメンタリーの取材を受けており、「アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿-」にて全国に放送されました。
嫁との関係
そんな伊原ですが、1990年に同じく俳優の相築あきこと結婚しました。
相築との馴れ初めについては同じ現場で出会ったとか友人からの紹介で出会ったとかいろいろ言われていますが、本当のところは本人たちのみぞ知るところです。
この結婚を機に相築は芸能界を引退し、家庭に入りました。
その後伊原は相築との間に二人の子供を作り、芸能界でも随一のおしどり夫婦として噂されていましたが、1999年に突如離婚を表明します。
離婚の理由としては性格の不一致であり、二人の子供の親権と家の所有権は相築に渡りました。
その後伊原は独身生活を満喫していましたが、2001年に今度は一般人の女性と結婚します。
その女性の名前は伊原純子であり、伊原にほれ込んでプロポーズしました。
純子は保育系の専門学校卒業後保育士として数年働き、その後紆余曲折あってわずか27歳で人材会社を立ち上げました。
その経営手腕はかなり高く、結婚してすぐに伊原から自身が経営していたお好み焼き屋の経営を任されたほどです。
その後お好み焼き屋の経営は見る見るうちに上向き、最終的には直営店6店舗、フランチャイズ店9店舗の計15店舗をまとめ、年商は10億にまでいきました。
そのようなこともあって伊原以上に稼いでおり、伊原はそれに甘えて生活費を18年間入れていませんでした。
そのことがテレビ番組で放送されると、ネットなどでは伊原を非難する声で溢れましたが、現在も夫婦仲は良好です。
現在
その後も伊原は芸能活動だけでなく飲食事業も妻と共に協力してやっていましたが、2018年10月、経営していたお好み焼き店をホットランドに売却し、飲食事業から撤退しました。
その後2020年、伊原は所属していたケイダッシュという芸能事務所との契約を終わらせて、個人事務所「IHARAオフィス」を立ち上げて独立しました。
しかし最近ではワクチンやマスクに対する懐疑的な姿勢から攻撃を受けることもあり、「伊原って常識の欠片もねぇな!!!貴様に人間社会で生きる資格はねぇ!!!貴様みてぇのがいるからいつまでたってもコロナが終息しねぇんだろうが!!!!恥を知れ!!!」というメールが仕事用の携帯に届くことさえあったのです。
それに対して伊原は訴訟も辞さない考えを示しており、今後の展開が注目されます。
いかがでしたか?
伊原が自身の国籍を理由に夢を諦めていたのは少し意外でしたね。
様々な誹謗中傷を受けて現在は大変だと思いますが、それをはねのけて活躍してほしいものです。