78年にシンガーソングライターとしてデビューし、Chageさんとの伝説のデュオ曲「ふたりの愛ランド」が大ヒットした石川優子さん

そんな彼女の現在とは…?

結婚して、夫との衝撃生活も明らかに!?

芸能界を引退している??

プロフィール

石川優子(いしかわゆうこ)1958年10月3日生まれ、シンガーソングライター。

本名は田中優子で、石川は旧姓。

身長155cm。

大阪府守口市出身。

大阪府立四條畷高等学校、大手前女子短期大学卒業。

小学校4年生の時に守口市少年少女合唱団に10倍以上の競争率を乗り越え合格。

中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活躍した。

1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会に、CHAGE and ASKA、円広志、大友裕子、クリスタルキングらとともに出場、「夜の雨」を歌った。

1979年、国際チリ音楽祭に「悲しさ夢色」で出場したあと、3月「沈丁花」でプロデビュー。

つづく二枚目シングルでは、石川優子本人が作詞・作曲した「レット・ミー・フライ」をリリースした。

同年10月発売の三枚目のシングル「クリスタル モーニング」が、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、スマッシュヒットした。

1981年には、シングル「シンデレラ サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。

ラジオ番組のDJとしても人気を集め、MBSヤングタウン木曜日をはじめとして、数々の番組を担当した。

また、ポプコン出身の純粋なシンガーでありながらも、グラビア雑誌でグラマラスな体型を披露する等、アーティストにとどまらない活躍ぶりを見せた。

「シンデレラ サマー」のヒットの際には、ザ・ベストテンに7週連続登場。

ザ・ベストテンの放送日がMBSヤングタウンの担当曜日の木曜日であったので、MBSの千里丘スタジオや隣のミリカプールなどで毎回中継がされていた。

その後、自ら歌う楽曲の作詞作曲だけでなく、1983年に河合奈保子、1984年には早見優、さらには冨永みーな、デューク・エイセス等にも作品を提供するなど、ソングライターとしての活動も活発に行う。

1984年には、CHAGEとのデュエットが実現。

CHAGEが作曲した「ふたりの愛ランド」がJAL沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名でその夏最大のヒット(ザ・ベストテンには11週連続登場。最高2位)を飛ばす。

1987年、所属していたラジオシティレコード(文化放送出資)が文化放送と渡辺プロダクションとの合弁会社であったアポロン音楽工業に吸収統合され、東芝EMIに移籍する。

夫との生活

人気歌手の1人として、活躍してきた石川優子さん。

プライベートでは、1990年7月にファイナルコンサートを開催して歌手を引退した後に、元マネージャーの男性と結婚しています。

石川優子さんの本名が現在、「田中」となっていますので、田中さんという苗字だけはわかっていますが、そのほかの詳しい情報はわかりませんでした。

ですが子宝にも恵まれ、男児を出産して母となったそうです。

現在は、何人お子さんがいるのかは不明ですが、長男は成人されている計算になるので、現在も幸せな生活を送られていると思います。

そこで気になるのが、石川優子さんは”引退”していたということです。

彼女が、1990年7月31歳のときで引退した理由は、ニューヨークに海外留学したかったとのことです。

実際に石川優子さんは、3年間ニューヨークへ留学しています。

当時の芸能界は、スキャンダルなどで引退する方も多かったようですが、彼女の場合は本当にニューヨーク留学が理由で芸能界を引退したようです。

それ以降、結婚し家庭を優先する生活をしていたようなので、一切メディア露出はなかった石川優子さん。

しかし、現在は2016年にライブイベント「僕らのポプコンエイジ」でステージに復帰、2019年の同イベントで『ふたりの愛ランド』をChageさんとのデュエットで披露しています。

現在

石川優子さんは1990年にニューヨーク留学をするため、芸能界を引退しました。

その後は一切、メディア露出されてなかった彼女ですが2016年に、Chageさんと26年ぶりの共演をされています。

そこで歌手復帰かと思われましたが、イベントでの一時復帰だったようで、現在はポプコンエイジという「ヤマハポピュラーソングコンテスト出身者」が集まるライブに2017年2018年2019年と連続で参加しています。

石川優子さんは、歌唱力はさることながらその容姿も美人と有名でした。

現在、なんと還暦を越えた彼女ですが、その美貌は健在でした。

多少ふっくらされたようですが、当時を知っているファンもそれには、想定内と思われたのではないでしょうか。

そして、SNS等石川優子さん公式のTwitterやInstagram、ブログなどを探してみるも、本人はやっていないようです。

そんな石川優子さんの趣味はなんとプロレス観戦だそうです。

寺西勇さんやスタンハンセンさんが好きとのこと。

さらに大相撲も好きで、好きな力士は青葉山さん。

このようなことから石川優子さんは、格闘技が好きなのかもしれませんね。

そして、西武ライオンズの応援歌「吠えろライオンズ」は、石川優子さんが作詞作曲されたものです。

現在でも流れ続けていますし、彼女が作詞作曲したことを知らない方も多いのではないでしょうか。

2016年から歌手活動を復帰されている石川優子さん、今後は完全復帰されるのか気になるところですが、現在はイベントでの参加のみで復帰の予定はないようです

しかし、お子さんも大きくなっていることから、近いうちにファンの熱意に応えて完全復帰されることもあるかもしれませんね。

石川優子さんは「クリスタル モーニング」や「シンデレラ サマー」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターでしたが、1990年に歌手活動を引退されています。

引退した理由は、ニューヨークに海外留学したかったとされていて、実際に3年間留学しています。

その後、歌手復帰を期待されていましたが、元マネージャーの田中さんと結婚されました。

男児を出産し、育児や家庭を第一に考えられその際一切メディア露出なく過ごされていた石川優子さんでしたが、長い年月を経て、2016年なんと26年ぶりに歌手として復帰しました。

その後、イベントでの出演ですが、現在も歌手活動をされています。