「角野卓三じゃねーよ」のフレーズでもお馴染みとなったご本人、角野卓三さん。

ご本人様は俳優をされていますが、ハリセンボンの春菜さんイメージが定着してしまった俳優さんでもありますね。

角野卓三さんといえば、少し寂しい頭部に眼鏡というイメージですが、実は若い頃が別人!?と、話題になる程、違っているんです。

一体、どれほど違っているのか画像で検証してみました。

プロフィール

名前:角野卓三(本名同じ)

生年月日:1948年8月10日

血液型:O型

出身地:東京都

【経歴】

出身地は東京都になる角野卓三さんですが、元々は広島県呉市の方なんですね。

角野卓三さんの父は、広島県議会議員をされていました。

しかし、角野卓三さんが広島で生活されていたのは、わずか1年。

それも幼稚園に上がる前だけです。

角野卓三さんには、死産となってしまった兄がおられます。

その経緯から、角野卓三さんを妊娠された際、母が絶対安静をとり、実家がある東京都の慶応病院に里帰り出産されます。

生後二年間、角野卓三さんは母方の実家に預けられ、そこで育てられます。

それから広島に戻られるのですが、父が県議会に二度落ちたことで、両親とも大阪に引っ越し。

以後、幼稚園から小学校卒業まで大阪で生活をされていますが、中学に上がる頃、東京へと移られます。

中学時代、大蔵省に入る為のエリートコースにのっていた角野卓三さんでしたが、卒業生を送る会で披露した芝居を褒められ、演技部からスカウトされます。

そこから演劇にのめりこみ、エリートコースの登竜門である日比谷高校合格ラインから外れてしまい、学習院高等科に進学。

そのまま学習院大学経学部経済学科に進学後卒業となりますが、高等科にいた頃から演劇部に所属。

大学在学中に、状況劇場の唐十郎さんと出会った事で、小劇場に目覚めます。

1970年に早稲田大学の学生演劇から生まれた早稲田小劇場へ入所し、翌年「花咲くチェリー」で初舞台を踏まれます。

1973年、つかこうへいさんの戯曲「熱海殺人事件」で最初の熊田留吉を演じられています。

翌年の1974年からテレビドラマに進出。

多数のドラマに出演し、1979年には「戦国自衛隊」で映画デビューされます。

代表作に「渡る世間は鬼ばかり」「翔ぶが如く」「警視庁鑑識班」「万引きGメン・二階堂雪」などがあります。

サスペンスドラマを好まれる方なら、ご存知な番組名ですね。

若い頃

近藤春菜さんとそっくりとして認識されている角野卓三さん。

そんな角野卓三さんの若い頃がこちら!

ビックリ!

今のお姿とは、全く違いますね。

お顔は、面影ありますが、角野卓三さんといえばで連想する髪型とも違いますし、何より眼鏡がないです。

若い頃は眼鏡をかけていらっしゃらなかったようですが、いつ頃から現在の容貌になられたのか調べてみたところ、こちらの画像が見つかりました。

画像を見る限り、40代頃から定着しているイメージの角野卓三さんって感じがでてきていますね。

視力の影響も早い人で35歳以降から始まるそうですから40代でしたら、きててもおかしくないですね。

髪に関しては、10歳おきに少しずつ減っていかれている感じですかね。

年齢によるものですから、こればかりは仕方ないです。

今何してる?

現在70代になられた角野卓三さん。

今も現役でテレビ出演されていますね。

ただ舞台に関しては、70歳を迎えられる前に退かれています。

退かれてた理由は、ご自身が虚血性の脳貧血で3回程倒れられており、区切りをつける感じで退かれたそうです。

ただテレビドラマに関しては、現在も出演されています。

73歳…決して若いとはいえない年齢になってきていますが、それでも長いセリフを覚え、披露されているんですから凄いですよね。

ご自身のセリフを覚えるだけでも大変だと思いますが、場の空気や他の方のセリフなどもある程度頭に入れておく必要があり、更に顔と体を使って表現する。

そう考えると役者って、凄い職業ですよね。

年齢を言い訳にせず、皆さん役を演じられているんですから、プロ意識の高さが伺えますよね。

現在の姿

元々、舞台俳優だった角野卓三さん。

ご自身の原点でもあった場所から退かれるなど、大きな決断をされましたが、それでも演技と無縁になったわけではなく、現在もテレビドラマには出演されています。

2020年には4本のドラマ。

2021年は1本でしたが、2022年を迎えてすぐに「笑点を作った男 立川談志」に出演。

その画像が、こちらです。

満面の笑顔が素敵ですね。

病気や健康に気を付け、これからも角野卓三さんらしい演技を見せていって欲しいですね。


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