テレビ東京の期待の星とまで言われていたアナウンサー、亀井京子。

そんな彼女ですが、一言では紹介できないような波乱万丈の人生を送ってきました。

今回はそんな彼女の軌跡について紹介していきたいと思います。

プロフィール

出身地 兵庫県宝塚市

生年月日 1982年8月23日(39歳)

血液型 O型

学歴 聖心女子大学文学部

所属事務所 ワーソングスクリエイティブ

職歴 テレビ東京編成局アナウンス部

活動期間 2005年 – 2008年

2010年 –

配偶者 林昌範

職業 アナウンサー

亀井は高校まで宝塚市に住んでいましたが、内部進学で聖心女子大学に進学したことを機に上京しました。

上京後、亀井は読者モデルの活動を始め、「CanCam」や「MORE」などの雑誌を飾りました。

そのこともあって大学生の間で亀井が評判になり、様々なインカレの広報役になりました。

この頃の亀井は大学卒業後、モデルになることを考えていましたが、テレビ朝日アスクに通ったのを機に、アナウンサーという職業にも魅力を感じ、その後他のアナウンススクールにも通うようになりました。

考えた末に亀井は就職活動においてアナウンサーに軸を置いた就職活動を行い、その努力もあってか、テレビ東京に入社しました。

その後、亀井は「スポーツ魂」や「ワールドビジネスサテライト」といったテレビ東京を代表する番組に出演し、様々なジャンルで活躍していくようになりました。

また「ウイニング競馬」では司会者を務めるなど、若手の中では一歩抜きんでた存在となりました。

しかし、亀井も何の苦労もなかったわけではなく、カメラアングルでは胸を強調しているようなアングルで写真を撮られる事が多々あり、モロに見えたという画像がネット上に出回るなどの逸話があります。

その後、2007年、読売ジャイアンツ投手の林昌範と結婚し、その翌年にテレビ東京を退職しました。

亀井が局アナとして勤務したのはわずか3年間であり、アナウンサーとしての実力を高く買っていたテレビ東京はとても驚きました。

亀井は同年2008年の10月に長女を出産し、その後は子育てと夫のサポートに専念していました。

しかし、亀井にもアナウンサーに未練があったのか、2010年にオーケープロダクションからフリーアナウンサーとして再デビューを果たしました。

旦那との関係

亀井と林の馴れ初めは合コンです。

スポーツアナウンサーとしての活躍が有名なので、意外に感じる人も多いかもしれませんが、亀井自身の分析によると太っていたため、若い選手たちから球場で声をかけられることはなかったとのことです。

そのような事もあって、亀井は野球選手との交際を半ば諦めていましたが、先輩アナウンサーから誘われた合コンにて林と運命の出会いを果たしました。

その日、亀井は翌日朝早くから仕事があったため途中で抜け出さなければなりませんでしたが、林がそれに付き添ったのを機に交際へと発展したのです。

その後、亀井の猛アプローチもあって二人は結婚し、先述したように娘も生まれました。

亀井の夫への愛はすさまじく、結婚直後には夫以外の男性とはほとんど話をしなかったほどです。

また夫と電話が通じないときは何度も何度もリダイヤルをするとのことであり、その話がテレビで流れたときは、重過ぎる愛に引く声も多く上がっていました。

また、夫に尽くすあまり、スピリチュアルな方向へも暴走しており、風水に没頭しているとのことです。

主な例としては、夫の開運のために赤いパンツを履かせる、夫を出世させるためにブリ料理を毎日のように作る、邪気を払うために観葉植物を部屋が密林になるまで置くなどがあり、そのことを話した「有吉反省会」では共演者のほとんどがドン引きしていました。

現在

亀井はその後もフリーアナウンサーとして活躍を続けていましたが、2020年に料理中に包丁を足に落としてしまうという事故を起こしました。

亀井はその場では痛みをこらえて包丁を抜き、止血と痛み止めを飲んで寝て乗り切ろうとしましたが、目が覚めても痛みは治らず、指も動かせないなど、むしろ悪化していました。

亀井はすぐさま病院に行き、そこで腱が切れてしまっているという診断を受けました。

しかし亀井は悲観することなく、自身のインスタグラムで「ペットや子供に当たらなくてよかった」と報告しています。

こういったプラス思考の点が、亀井の人気の一役を担っているのではないかと思う次第です。

いかがでしたか?

亀井が大学生時代、読者モデルをしていたことは少し意外でしたね。

夫の事を考えすぎるあまり、風水に没頭するあたり、亀井の夫への愛の深さが窺えます。

子育てしながらのタレント活動は大変だと思いますが、亀井には是非両立させてほしいでです。