嵐を呼ぶバンドとして名を馳せたLUNA SEAでボーカルを務めたシンガーソングライター、河村隆一。

そんな彼ですが、最近ではあまり表舞台で見ることが少なくなっています。

果たして現在どのような生活をしているのでしょうか?

プロフィール

生年月日 1970520日(51歳)

出身地 神奈川県大和市

ジャンル ロック、J-POP

職業 シンガーソングライター、俳優、小説家、レーサー、音楽プロデューサー

学歴 日本工業大学駒場高等学校中退

担当楽器 ボーカル、ギター

レーベル エイベックス

河村は1992年にLUNA SEAがメジャーデビューを果たすと、たちまちそのルックスから人気を博すようになりました。

その翌年の2月、結成初のシングル「BELIEVE」をリリースし、オリコン初登場で11位を記録するなど一定のヒットを遂げました。

同年8月、LUNA SEAは東名阪を巡るツアーを開催します。

このツアーの締めとして日本武道館で講演を行う予定でしたが、台風の襲来によって延期になり、これ以降「嵐を呼ぶバンド」という二つ名を得ることになります。

1994年にシングル「ROSIER」をリリースし、ロングヒットを記録します。

その直後に行われた公演でLUNA SEAが演奏中に集中豪雨に見舞われ、一時中断の憂き目に遭いました。

のちにこの豪雨は極めて局地的なものであったことが分かり、LUNA SEAは「嵐を呼ぶバンド」という地位を確固たるものにしました。

またこのことが音楽誌を中心に取り上げられたことにより注目が集まり、9月に発売されたシングル「TRUE BLUE」ではオリコン初登場1位を記録しました。

しかし1996年末、LUNA SEAは自主トレーニングのため1年間活動を休止することになりました。

嫁との関係

河村は2005年に後に妻となる佐野公美と出会いました。

河村は佐野に社宅代わりの住宅を無償で提供するなどの厚遇をし、その翌年に結婚しました。

佐野の実家は大資産家で後継ぎがおらず、結婚の条件として婿に入ることを言い渡されたこともあり、姓の方は河村の方が変更しました。

結婚当初は5億円もの費用を使って立てたとも言われているルナシー御殿で生活をしていましたが、ファンが見物のために付近を訪れることが相次いだため妻がノイローゼになりました。

それを受けて河村はルナシー御殿を売却し、タワーマンションに引っ越しました。

なおルナシー御殿は最終的には当初の値段の半分以下で手放すことになりました。

また河村と佐野の間には2009年に男児が生まれており、元気に暮らしています。

若い頃

河村は子供の頃に西城秀樹の歌を聞いたことにより音楽に関心を持つようになり、小学生の頃から年上の友人たちと共にバンドを組んでいました。

河村はやがて東京での活躍を志向するようになり、東京の高校に進学しました。

しかし徐々に音楽に対する思いが強まり、高校2年生の時に退学しました。

それと同時に親から家を追い出され、東京で一人暮らしを始めます。

しかし資金不足故、アパートを借りることが出来ず、友人の家を転々としながら音楽活動とアルバイトをしていました。

そんな中、町田のライブハウスでLUNA SEAと運命的な出会いを果たします。

そのタイミングでボーカルが脱退した事によりLUNA SEAに加入し、本格的な音楽生活を始めました。

しかし当初の生活は厳しく、引き続き様々なアルバイトをしながら音楽活動を行っていました。

またこの頃は床にまで届く長髪やライブでファンの事を「SLAVE」と呼ぶなど80年代らしいアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出していました。

現在

河村はバンドの活動休止を受けてソロ活動に乗り出し、アルバム「Love」は男性ソロアーティストの売り上げ歴代1位を記録するなど大ヒットを遂げました。

そのような事もあって1997年の紅白歌合戦に、ソロデビュー1年ながら出演することになりました。

199712月にLUNA SEAとしての活動を再開させると、河村は自主トレーニングの成果を遺憾なく発揮し、1998年にLUNA SEA名義で再び紅白歌合戦に出演しました。

これはバンド初の事であり、河村は仲間たちの演奏をバックにヒット曲「I for you」を熱唱しました。

2000年にLUNA SEAは解散しましたが、その10年後の2010年に再始動しました。

しかし押し寄せる歳の波には勝てず、2019年には肺腺ガンを発症し手術を受けることを余儀なくされました。

幸いにして早期発見だったことから肺活量には全く影響がなく、引き続きボーカリストとして活躍していくことを改めて発表しました。

そんな河村ですが20214月、「ニコニコチャンネル」内で、ボーカルレッスンチャンネル「Ryuichi Kawamura Vocal Lesson」を開きました。

様々な環境で歌ってきた河村のノウハウを聞けるというだけあって、大盛況となることが予想されます。

いかがでしたか?

河村が東京の高校に通学していたのは少し意外でしたね?

紅白歌合戦に一人で出場した翌年にグループで出場するあたり、河村の自主トレーニングがいかに凄いものであったのかが窺えます。

年を感じさせない声量を誇っていますので、まだまだ活躍が期待されるでしょう。