「トゥギャザー」で一世を博した芸人、ルー大柴。

そんな彼ですが、1990年代後半のブレイク以降、あまりテレビで見かけることがなくなっています。

果たして現在どのような生活を送っているのでしょうか?

プロフィール

本名 大柴

生年月日 1954114日(67歳)

出身地 東京都新宿区

血液型 A

身長 172cm

言語 日本語

事務所 Carino

活動時期 1977

学歴 立教高等学校卒業

職業 お笑いタレント、俳優、茶人

ルーはシベリア抑留から引き揚げてきた父と印刷所を営んでいる家の母との間に東京で生まれました。

父は哈爾浜で育ったというだけあって語学が堪能であり、日本語だけでなく英語、中国語、ロシア語まで話すことが出来ました。

こういった経緯からルーは裕福な環境で育ちましたが、高校時代に両親の関係が悪化し、ルーは家に嫌気がさしました。

ルーは高校卒業後立教大学には進学せず欧米へ渡り、自分で作ったアクセサリーを行商しながら数年間生活していました。

父親仕込みの英語もあって言語面ではあまり困ることはなく、この放浪中に様々な階級の人と会話したこともあって英会話を完璧にマスターしました。

その後ルーは帰国し、母方の実家が経営する印刷所に就職しましたが、欧米での日々とは打って変わって何の変哲もない日常に嫌気がさし1年も経たないうちに退職しました。

その後おもしろそうだということで三橋達也の付き人になり、1977年には「俺たちの朝」で俳優として初めてテレビドラマに出演しました。

しかしこれ以降はなかなか芽が出ず、苦悩したルーは勝新太郎が作った勝アカデミーに藁にも縋る気持ちで参加しました。

この頃は俳優のオーディションを受けつつ、モデルのアルバイトをして日銭を稼いでいましたが、モデルのパンフレットに酔っていたカジュアルスタイルにウエストポーチをつけた姿が一躍話題となり、TBSラジオの「スーパーギャング・コサキン無理矢理100%」で一躍話題となります。

それを機に一般的な人気も高まり、のちに番組内でルーのポエムコーナーが出来るまでに至りました。

『トゥギャザー』全盛期

1989年、ルーは親友の関根勤が座長を務める劇団「カンコンキンシアター」にチャーティングメンバーとして参加し、再び注目を集めることとなりました。

そしてアデランスのCMの「トゥギャザーしようぜ」というキャッチフレーズでその人気を確固たるものにし、遅咲きながらようやく芸能界で大ブレイクをすることが出来ました。

ルーは「笑っていいとも」の曜日レギュラーに関根やダウンタウンと共に出演するなどたちまちお茶の間のスターとしてテレビで見ない日は無くなりました。

また1992年にはゴールデン・アロー賞芸能新人賞を獲得するなど俳優としての地位を徐々に確固たるものにしていき、1994年には念願の大河ドラマに出演しています。

しかし「笑っていいとも」での振る舞いにタモリやダウンタウンが本気で鬱陶しがるなど必ずしも全方位で好かれていたわけでなく、ルーもそれを意識したのか舞台演劇での活動に徐々にシフトしていきました。

今は茶道師範!?

ルーは2006年ごろから自身の芸の幅を広げるために茶道を習い始めました。

はじめは多忙な舞台スケジュール故、中々練習をすることが出来ませんでしたが、仕事の合間に自習を繰り返すなどの努力を重ねることによってメキメキと腕を上げていきました。

そして2010年、ルーは自身の成果が認められて見事準師範にまで登り詰め、宗徹という称号を得るまでに至りました。

2013年には師範にもなり、茶道芸人という新たな境地に辿り着きました。

2018年には柔道の日本選手団が精神を鍛える修行の一環としてルーの下で茶道を学ぶなどといった取り組みもあり、今や茶道の広報に近いこともやっています。

現在の姿

ルーは2007年に2チャンネルで話題になったことを機に再びブレイクに、久しぶりにテレビで見ることも多くなりました。

この再ブレイクの際は「藪からスティック」や「寝耳にウォーター」などといった数々のギャグを残し、それが主に若い人の間で話題となりました。

また以前鬱陶しがられていたダウンタウンとの共演も果たし、お互いに丸くなったこともあって関係は良好なものとなりました。

その翌年にルーは長年勤めていた浅井企画を退職し、マネージャーとともに独立を果たしました。

現在は自分のペースで悠々自適に暮らしており、2019年には自信と茶道について書かれた本を出版したりしています。

これからもルーには末永く活躍してほしいです。

いかがでしたか?

ルーが若いころに欧米を放浪していたのは少し意外でしたね。

50歳を過ぎてから茶道という新しいことを始め、しかも師範という高みにまで至るあたり、ルーの探求心の高さがうかがえます。

また何度もブレイクを果たしているあたり、ルーの潜在的なお笑いのセンスはきらりと光るものがあるでしょう。

ルー語と言われるギャグは最早日本に定着しているので、これからも新しいルー語を生み出していくと思います。