司会として幅広い活躍をしている女優、向井亜紀。
そんな彼女ですが、そこに至るまでには壮絶な物語がありました。
今回はそんな向井の軌跡について振り返ってみたいと思います。
プロフィール
生年月日 1964年11月3日
出生地 埼玉県大宮市
身長 170 cm
血液型 A型
職業 女優、タレント
ジャンル テレビドラマ、映画
活動期間 1985年 –
配偶者 高田延彦(1994年 – )
事務所 ホリプロ、エヴァーグリーン・エンタテイメント
学歴 日本女子大学家政学部家政理学2部生物系中退
向井は埼玉県大宮市にて生を受けました。
父親は医者であり、実家は耳鼻科医院です。
また母親は高校の理科教師であり、当時としては珍しい共働きの家庭でした。
そのこともあってか向井は子供の頃から理系を志しており、将来は母親と同じ学校教師になることを目指していました。
そのような事もあってか勉強には人一倍励んでおり、高校は埼玉県でも随一の名門の浦和第一女子高等学校に進学します。
そして向井は、日本女子大学家政学部家政理学2部生物系に進学しました。
しかし大学進学後、文化放送の『ミスDJリクエストパレード』にてDJに抜擢されたことを機に、芸能界に進出します。
そこで芸能界の面白さに目覚めた向井は、大学を中退して芸能の道一本で生きていく事を決意しました。
当初は幅広く活動していたこともあり、グラビアアイドルや写真集のモデルを務めたこともあります。
1985年、向井はフジテレビの「TVプレイバック」にて初めてのレギュラー出演を果たします。
1988年にはテレビ大阪の「ハロー動物ファミリー」の司会を務め、1990年にはテレビ朝日の「TVいま時あの時」にて同じく司会を務めます。
この二件の司会を機に、向井の知名度は急上昇し、人気を確固たるものにしました。
その翌年には「ダイハードエンジェルス 危険に抱かれた女たち」にてVシネマ初出演を果たし、またフジテレビの「結婚の理想と現実」にてドラマ初出演を果たしました。
また司会業も引き続き続けており、1993年には朝日放送の「朝だ!生です旅サラダ」のサブ司会を務め始めました。
なおこのサブ司会は2022年現在でも務めており、29年近く土曜の朝の顔を務めています。
そして1994年、向井はプロレスラーの高田延彦と結婚を果たします。
なお向井は初めて高田を見たとき、「すごくきれいな内臓だと思う」と感じたとのことであり、どことなく運命を感じていたとのことです。
しかし好きと言うほどではなく、二人が交際したのは高田が猛アプローチをしたからだとのことです。
その後も1996年にはNHKの「スタジオパークからこんにちは」、2001年には日本テレビの「レッツ!」にて司会を務めており、結婚後も引き続き活躍を続けました。
また2001年には「しあわせ家族計画」にて初映画出演を果たしており、向井の活躍の幅は広がっていきました。
なおこの映画で向井は司会者の役を演じており、向井=司会者というイメージは世間にも定着していました。
子供の今
向井は2000年に妊娠しますが、同時に子宮頸がんが見つかりました。
向井は悩んだ末に妊娠継続を諦めて、子宮全摘手術を受けました。
しかし妊娠を諦めきれない向井は、2002年にアメリカ合衆国のネバダ州に渡航し、代理出産の依頼をします。
このときは提供卵を使っての体外受精でしたが、代理母の着床に関しては失敗しました。
翌年、向井は新薬の力を借りて自分の卵子を採卵し、高田の精子と体外受精を行いました。
今度は見事成功し、2003年11月に向井の代理母は双子を出産しました。
その後、向井は品川区役所に双子の出生届を出そうとしましたが、戸籍法上向井は実の母親とは認められず、出生届は不受理となりました。
向井はこれを不服として裁判を起こしたのです。
この裁判は最高裁まで争う事となりましたが、2007年に受理は認められないという最高裁判決が出ました。
それにより双子は日本在住のアメリカ人という扱いになりましたが、2009年に双子を特別養子縁組という形で迎えたことにより、ようやく名実ともに家族になることが出来たのです。
その後、双子はすくすくと成長していき、中学校卒業後は二人ともアメリカの高校に留学しました。
国籍の選択は21歳までにしなければならないとのことですが、向井自身は全て子供に任せるつもりとのことです。
現在
この一連の出来事はフジテレビでドラマ化されており、2007年に「会いたかった 〜向井亜紀・代理母出産という選択〜」というタイトルで放送されました。
なお向井自身はこのドラマにはコメント出演という形で関わっています。
現在も先述した「旅サラダ」の他、講演活動も積極的に行っており、向井の活躍は続いています。
いかがでしたか?
向井は子供の頃は理科の先生になりたかったのは少し意外でしたね。
子宮を失っても子供が欲しいという執念は凄まじいものであり、意志あるものに道が開けるという言葉の通りだなと感じました。
向井のこれからの活躍には目が離せません。