仮面ライダーにも出演したことで知られている俳優、村上弘明。

そんな彼ですが、一言では語れないような壮絶な人生を送ってきました。

今回はそんな彼の人生について紹介していきたいと思います。

プロフィール

生年月日 1956年12月22日

出生地 岩手県陸前高田市

身長 185 cm

血液型 A

職業 俳優

ジャンル 映画・テレビドラマ・演劇

活動期間 1978年-

学歴 法政大学法学部政治学科中退

職業 俳優

村上は岩手県の陸前高田市という漁師町にて一卵性双生児として生を受けました。

片割れは一般人であり、後に妹が誕生しています。

小学生の頃は「隠密剣士」というテレビ時代劇にハマっており、将来の夢も「忍者」や「ヒーロー」と語っていました。

その後中学校に進学すると村上は野球部に入部し、4番でエースとして八面六臂の活躍をします。

また学力も学校でトップレベルであり、高校は越境入学して名門校として知られている宮城県の気仙沼高校に進学しました。

なお越境入学と言っても陸前高田市と気仙沼市は隣り合っていますので、通学時間以外は特に支障をきたすことはなかったです。

やがて村上は医者を志すようになり、東北地方の名門である東北大学医学部を目指して日々勉強に励むようになります。

しかし現役時は遠く及ばず、村上は仙台の予備校に進学しますが、2年間浪人しても合格することはありませんでした。

そして村上は挫折し、映画館に入り浸ってロクに授業に出席しなくなったのです。

そんな中村上は「風と共に去りぬ」を見たことで映画業界に行ってみたいと考えるようになり、映画業界に触れるために東京の大学に進学することを決意したのです。

村上は文転して早稲田大学をはじめとする東京の私立大学を数か所受けましたが、準備不足もあってか滑り止めで受けていた法政大学しか受からず、そのまま法政大学へと進学しました。

なお村上は両親に対して文転の理由を「東京の大学に行って教職課程を履修し故郷に帰って教師になる」と説明していました。

それに対して両親は「せっかく医学部を目指していたのだから、文転しなくても数学か理科の先生になればいいし、地元で先生になるのなら国立大の教育学部にいけばいいのではないか」と言われ、渋々受けもしない大学の願書を書いて受験料を支払いました。

村上は3年の遅れを取り戻すかのように大学生活を謳歌し、映画サークルに入り浸って古今東西の映画を見る生活を続けました。

そんな中村上のサークル仲間が無断で映画「もう頬づえはつかない」のオーディションに村上の名前で応募し、村上もいい記念になるのではないかと思ってオーディションに臨みます。

そこで何と村上は主演の男性役で合格し、本人は有頂天になります。

しかし1か月後スポーツ紙を眺めてみると、「主演は桃井かおりと奥田瑛二」と書かれており、村上はプロデューサーに抗議しに行きました。

そこでプロデューサーから「女性役を桃井かおりで行く以上、男性役もそれなりの人物にしないとバランスが悪い」と説明を受け、その埋め合わせとして芸能事務所を紹介されました。

村上は喜んでその芸能事務所と契約し、芸能界入りを果たしたのです。

がんがヤバすぎる?

そんな村上ですが、2018年2月に人間ドックで初期の大腸がんが見つかりました。

村上は元々病院嫌いという事もあってほとんど人間ドックも行きませんでしたが、妻から行くように強く言われ、渋々行ったとのことです。

幸いな事に大腸がんは超初期のステージゼロの状態で見つかり、村上はすぐに手術を受けました。

手術によって大腸30センチを切除しましたが、特に後遺症やその後の治療なども必要なく、村上はすぐに退院して引き続き活動を続けました。

この件について村上自身は後に番組で「結果的に私の命を救ってくれた」と妻に語っており、感謝の意を表していました。

現在

村上は結果的に両親との約束を反故にする形で俳優になったという事もあり、故郷に強い負い目を感じており、出世を重ねてもあまり故郷の事を語りませんでした。

しかし2011年、東日本大震災で実家が被災し、従兄弟と叔父夫妻が津波に呑まれて命を落としました。

なお自身の両親は外出中という事もあって何とか助かりましたが、実家は半壊状態であり、もし家にいたら助かったかどうかは微妙なところです。

そのこともあってか村上は2012年、NHK東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」にボーカルとして参加し、時期を前後して岩手での活動もするようになりました。

また2016年には自身が青春を過ごしていた気仙沼市でみなと気仙沼大使に任命されました。

村上の今後の活躍には目が離せません。

いかがでしたか?

村上が医学部を目指していたというのはかなり意外でしたね。

親との約束を反故にするという形で俳優になったことをかなり長い間悔やんでいるあたり、村上がいかに親思いであったかが窺えます。

三陸地方の復興が進むにつれて村上の出番はどんどん増えていくと思いますので、これからの動向には注目です。