俳優の奥田瑛二さんは、渋い演技を見せてくれる名優だと思いますが、若い頃はどうだったのでしょうか?

とてもモテモテだったという話もありますが、現在とは違うのかも気になりますよね。

今回は奥田瑛二さんのプロフィールや若い頃と現在ということで、比較してみたいと思います。

プロフィール

まずは、奥田瑛二さんのプロフィールからご紹介しましょう。

・芸名:奥田瑛二(おくだえいじ)

・生年月日:1950年3月18日

・出身地:愛知県

・身長:175センチ

・職業:俳優・声優・ナレーター・映画監督・画家

・事務所:ゼロ・ピクチュアズ

小学五年生の時に、大友柳太朗の「丹下左膳」を見て衝撃を受け、役者を志したと言う事。

随分早い段階で俳優を目指したんですね。

明治学院大学法学部に入学し、演劇部に参加。

父親は春日井市議会議員だったこともあり、議員秘書として仕事をしながら、大学生活を送っていたそうですよ。

大学を中退し、生活のための夜の仕事もしていたという事。

1976年に「円盤戦争バンキッド」の主人公役で俳優デビューしますが、その後不遇の時代を迎え、一時期はホームレスのような生活もしていたそうですよ。

1979年の日活映画「もっとしなやかに、もっとしたたかに」で実力を認められ、それからはドラマ「金曜日の妻たちへⅢ恋におちて」「男女7人夏物語」などに出演し人気が出て、“不倫してみたい俳優”という評価も得ています。

俳優の他にも映画監督としても活動しており、今でも精力的というのが分かります。

若い頃

数多くの映画やドラマで活躍している奥田瑛二さん。

2001年には「少女 an adolescent」で映画監督デビューもしています。

現在の奥田瑛二さんを見ると順調にキャリアを重ねてきたように感じますが、若い頃は苦労していたようですね。

演技を勉強しようとしていても、劇団に入れず、結局は俳優の天知茂さんの付き人になったと言う事です。

また、このときには彼女がいて、料理屋の娘ということで食べ物には困らなかったそうですよ。

約2年間、天知茂さんの付き人を続けていたそうですが、不安を感じ夜逃げ同然に逃げ、それからはアルバイト三昧の生活を送ったということ。

色々なバイトをしていたそうですが、若い頃からモテモテだったということで、「モテなかったことは一度もない。これは事実だからウソの尽きようがない」といいう発言もしていました。

昔からモテていたんですね。

また、モデルとしても売れていたと言う事ですが、奥田瑛二さん本人がやりたいのは映画俳優だったので、モデルを辞めたというエピソードもありました。

その後、ドラマ「円盤戦争バンキッド」で主人公に抜擢されますが、それですぐに売れっ子というわけにはいかず、くすぶっていたようです。

今だと、仮面ライダーやスーパーヒーローは新人の登竜門的な感じですが、当時は違ったんですね。

一時期はホームレスの経験もあったそうですよ。

20代の頃は色々な役を経験し、その経験が後に役立ったと言う事でしょう。

現在

奥田瑛二さんの現在ですが、今も俳優として活躍していますよ。

近年の出演作は以下のようになっています。

・2021年:NHK総合ドラマ「風の向こうへ駆け抜けろ」

・2021年:テレビ朝日ドラマ「女系家族」

・2023年:フジテレビドラマ「世にも奇妙な物語’23夏の特別編「虹」」

・2021年:映画「99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE」

・2022年:映画「ニワトリ☆フェニックス」

・2022年:映画「アキラとあきら」

・2023年:映画「クモとサルの家族」

このように、精力的に俳優として活動しているのがわかりますね。

最近では主演短編映画の「たからばこ~守るべきもの」の完成試写会にも登場していました。

奥田瑛二さんと言えば、お嫁さんはエッセイストの安藤和津さん、長女が映画監督の安藤桃子さん、次女が女優の安藤サクラさんという芸能一家ですよね。

安藤和津さんとは今はとても仲が良いようですが、過去には離婚も考えていた事があると言うことですよ。

若い頃からモテモテだった奥田瑛二さんなので、女遊びや浮気もあったようです。

しかし、「いい男と結婚したんだからしょうがないよ。浮気が嫌なら、醜い男と結婚すれば良かったんだよ。」と安藤和津さんは母親に言われ「モテ男と結婚できた自分は幸せ者」と考え方を変えたと言うことです。

そんな奥田瑛二さんも現在は落ち着いているようで、素直に謝れるようになったとも発言していました。

昔は自分が悪くても謝らなかったということでしょうね。

また、今は2人の孫がいると言うことで、とても可愛がっているそうですよ。

考え方も変わり、以前は「幸せなんてクソくらえ」と思っていたそうですが、近頃は、幸せを言葉にできるようになったということで、心境の変化があったのでしょうね。

遅咲きの幸福感を強烈に感じているということで、変わるものですね。

他にも富山市の政策参与を務めており、同地で演劇集団「奥田塾」を主宰しているということで、演劇の指導もしているんですね。

70歳を越えていますが、まだ元気もありますし、これからも健康に気をつけて色々な活動を続けて欲しいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。