島崎俊郎さんは独特の格好とキャラクター「アダモちゃん」で一世を風靡したお笑いタレントとし一躍スターに駆け上がりました。
現在あまりテレビで見かけることはなくなりましたが、何をしているのでしょうか。
アダモちゃん時代と異なる現在の姿をご紹介します。
還暦を迎えたそんな彼は現在、どのような暮らしをしているのでしょう。
今のお仕事は何をしているのか?
詳しく見ていきましょう。
プロフィール
本名:島崎俊郎(はせがわ はつのり)
別名:アダモちゃん(キャラクターの1つ)
リポーター、タレント、お笑いタレント、俳優
生年月日:1955年3月18日(66歳)
出身地:高知県高知市
血液型:A型
趣味:音楽鑑賞、映画鑑賞、スキー、カメラ、旅行など多趣味。
高知県で4人兄弟の末っ子として生まれ、小学4年生まで高知に住み、その後、京都へ引っ越します。
中学でサッカー部に入部し、洛北高校1年のときに京都選抜チームに選ばれ、インターハイに出場しています。
1973年、(当時18歳)バッグ1つで京都を飛び出し、クレージーキャッツが公演している新宿コマ劇場へ向かい、ハナ肇に志願し、クレイジーキャッツの付き人となります。
1978年、クレイジーキャッツの付き人4人に川上泰生を加え、コントグループ「サンズンズ」を結成します。
1979年、川上泰生、小林すすむらとコントトリオ「ヒップアップ」を結成します。
1980年、『笑ってる場合ですよ』『君こそスターだ』で勝ち抜き、人気が急上昇。
翌年には、オレたちひょうきん族レギュラーになるほどの人気者に。
1985年2月2日、『オレたちひょうきん族』「タケちゃんマン7」で、現在のアダモちゃんの基盤となるマネー島崎が登場します。
以降、「ペーイ」と叫びながら暴れ回る謎のアフリカ原住民「アダモステ」となり、人気が爆発します。
1990年、埼玉のデパートの営業で司会をやっていた女性と出会い、1991年2月23日、結婚します。
東京プリンスホテル 鳳凰の間にて披露宴が行われました。
1993年、長男誕生、1996年次男誕生。
2007年 – 2009年、南原清隆、野村万蔵らと現代狂言に出演。
2009年4月10日、自身の代表キャラクター・アダモちゃんの誕生25周年を記念してDVDが発売されます。
出演
バラエティー番組
マジカル7大冒険 (TBS、1978年10月 – 1979年3月)
新春かくし芸大会 (1979年1月1日、フジテレビ) – サンズンズとして出演
オレたちひょうきん族(フジテレビ)
愛ラブSMAP!(テレビ東京)
アダモちゃん時代
島崎俊郎さんの代名詞であるアダモちゃん。
若い人はあまり知らないかもしれませんが、「ホーッテ、ホッテホッテ、ホッテマカセ~」と歌い踊りながら登場し、タレントやテレビカメラに近づいて「○○みーっけ!」と叫んでキスをし、白いキスマークを付けるのが定番芸のキャラクターです。
アダモステの原型はタケちゃんマンのコーナーで島崎が演じた、タヒチアンショー・ビンボーダンス(リンボーダンスのパロディ)で原住民に扮した日本人のマネー島崎でした。
発端はある日楽屋で北野たけしから「お前、ポリネシアン・ダンサーに似てるな」と何気なく言われたことからマネー島崎を演じることになります。
決め言葉の「アダモステ、ペイ!」とは日本語で「あんたなんか知らないよ。ふん!」という意味らしく、そのフレーズがそのまま「アダモステ」というキャラクター名になりました。
その後、アダモステは「アダモちゃん」と呼ばれるようになり、「タケちゃんマン」の1シーンで、様々な職業などに扮して出演し、人気キャラクターとなります。
アダモステをやる時は細かい内容は本人にお任せ状態で毎回アドリブでした。
2000年にアダモステがメインボーカルを務めるユニット「アダモす」を結成。
2005年、TBS系の『ズバリ言うわよ!』にアダモステの姿で出演した際、細木数子に「その芸風は古いのよ!」などと言われたが、現在でもアダモステの姿でバラエティやステージショーにでています。
現在
では、現在島崎俊郎さんの現在は?
現在 テレビリポーターのほか、舞台や映画でも活躍中です。
多岐にわたる活躍で、YOUTUBEや自らのバンド「新橋烏森口バンド」を結成し、作詞作曲活動も行っています。
「島崎敏郎のなんでもない話でごめんなさい。」というブログを開設され、美味しいご飯屋さんの情報や活動状況などこまめに近況をアップされています。
一時期に比べるとテレビ出演の回数が激減し、その姿を見る機会がめっぽう少なくなった印象の島崎俊郎さん。
2016年にNHKで放送された朝ドラ『とと姉ちゃん』に、本木正晴役で俳優として出演して以降、表立った活動はありません。
芸能界を引退したのかと思いましたが、島崎俊郎さんのブログを検索してみると、全国各地を仕事で訪問し、美味しい食べたものがアップされていました。
食レポのための取材、あるいは街ブラロケ、講演会やイベントなのではないかと推察されます。
2003年1月に放送されたバラエティ番組『雲と波と少年と』の企画に、鹿児島県屋久島に家族を移住させる企画がありました。
そして、その屋久島移住計画に参加していたのが島崎俊郎さん一家でした。
もともと田舎での暮らしに憧れを抱いていた島崎俊郎さんは、家族会議で家族を説得し、これまでの東京での生活を捨てて、屋久島に家族で移住することを決断しました。
ところが、2003年1月に屋久島便りの制作スタッフ3人が、車で死傷事故を起こし、このコーナーはたった一回だけの放送で打ち切りとなってしまいます。
ですので、移住はせずに、ご自宅で家族と暮らしています。
今回、島崎俊郎光司さんのプロフィール、アダモちゃん時代と現在の活躍についてまとめました。
一度見たら忘れられない唯一無二のキャラクターのアダモちゃん。
北野武さんの一言がきっかけで生まれたキャラクターだったのですね。
毎回アドリブなのに爆笑で終わる人気コーナーは、ご本人の努力の賜物だったのでしょう。
今も愛され続けるキャラクターです。
また、島崎俊郎さんはブログで近況を報告しており、全国を飛び回って活躍していらっしゃいます。
気になる方はチェックしてみてくださいね。