日本人で二人目のF1フルタイムドライバー、鈴木亜久里。
そんな彼ですが、ここに至るまでには様々なドラマがありました。
今回はそんな彼の軌跡について振り返ってみたいと思います。
プロフィール
出身地 東京都板橋区
生年月日 1960年9月8日
F1での経歴
活動時期 1988,1989-1993,1994,1995
所属チーム ’88,’90-’91 ラルース
’89 ザクスピード
’92-’93 フットワーク (アロウズ)
’94 ジョーダン
’95 リジェ
出走回数 88 (64スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 1
通算獲得ポイント 8
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1988年日本GP
最終戦 1995年日本GP
学歴 城西大学理学部中退
職業 実業家
鈴木は1960年に鈴木正士の息子として生を受けました。
亜久里の名前の由来は根本進の漫画「クリちゃん」に登場する「アッちゃん」と「クリちゃん」です。
父親の鈴木正士は日大芸術学部を卒業した後ホンダ航空に入社し、整備士として働いていました。
そのような事もあって鈴木がメカニックという分野に興味を持つのにはそう時間がかからなく、小学校に入学する頃には一角の自動車少年になっていました。
そして鈴木は12歳の時に華々しくカートレースデビューを果たします。
鈴木はこの頃カート協会の有力者にまで登り詰めていた父親の全面的なバックアップを受けて、レース活動を続け、1978年には全日本カート選手権A2クラスのチャンピオンになりました。
その勢いのまま1979年に最年少で全日本F3選手権に出場するなど、鈴木は日本を代表する若手選手に成長しました。
しかし鈴木といえどもF3の壁は厚く、今までとは打って変わっていい成績を出すことが出来なくなりました。
鈴木は大学を中退してレース活動に集中しましたが、それでもなかなかいい成績を出すことは出来ません。
1983年には初めてシリーズ2位に入るなど好成績を残しましたが、不幸な事にそのタイミングで活動資金が底をつき、鈴木は引退さえ頭をよぎるようになりました。
さらにこの頃は同年代の高橋徹が注目を集めており、それとは対照的に鈴木に対しては冷ややかな視線が向けられるようになったのです。
そんな中鈴木はトムスの舘に自身の進退について相談したところ、舘は日産系セントラル20のオーナーの柳田春人を紹介しました。
それにより鈴木は日産に入社し、そこでF3エンジンの開発に携わるようになりました。
1985年、日産はワークス活動を再開し、鈴木はワークスドライバーに抜擢されます。
そこで鈴木は全日本ツーリングカー選手権や全日本耐久選手権などに日産の選手として出場するようになり、長年悩ませてきた資金面での問題がやっと解決しました。
その翌年にはテスト時の事故でこの世を去った荻原光の後釜としてル・マン24時間レースに初参戦を果たし、見事チャンピオンに輝きました。
1987年に入ると、鈴木は全日本F3000選手権に出場し、そこでシリーズ2位に輝きます。
その翌年にはシリーズのチャンピオンを獲得するなど目覚ましい活躍を続け、鈴木はその勢いのままにF1に参戦しました。
当初鈴木は1989年からF1に参戦するつもりでしたが、1988年10月の日本GPにヤニック・ダルマス氏が出られなくなったことにより、代役として予想外の形でF1デビューを飾りました。
しかしこの時は準備不足という事もあって思うような成績を残せず、16位での完走という形に終わっています。
嫁や息子との関係
鈴木が生涯の伴侶と出会ったのは意外にも早く大学一年生の時であり、大学のキャンパスで出会いました。
二人の関係は鈴木が大学を中退しても続いており、やがて交際にまで発展しました。
その後鈴木がF1ドライバーとしてデビューした1988年に二人はゴールインしました。
一説には二人の熱愛がスポーツ紙で報道されて大騒動になったから結婚をせざるを得なかったとのことです。
また二人の間には二人の子供がおり、そのうちの一人が瑞翔です。
瑞翔はパリの大学にて経済学を学んだあと、帰国してバンド活動をしていました。
現在ではFIA関連の仕事をしており、そこでバリバリ働いています。
そんな瑞翔ですが、2017年にテレビ東京のアナウンサーの秋本玲奈と結婚しました。
二人の間には同年に男児、2021年に双子の男児が生まれており、現在子育てに励んでいます。
現在
その後も鈴木は10年以上ドライバーとしての活躍を続けましたが、2000年にドライバーを完全引退しました。
しかし完全に自動車レースの世界から引退したわけでなく、今度はドライバーとしてではなくオーナーとしてF1に参戦するために行動を始め、2006年には「スーパーアグリF1チーム」を結成し、F1の舞台に戻ってきました。
その後も紆余曲折がありましたが、鈴木は現在もARTAの監督として精力的に活動を続けています。
いかがでしたか?
鈴木が自動車レースのために大学まで中退していたことは少し意外でしたね。
このような波乱万丈な人生を陰ながら支えてくれた妻と出会ったのが大学生の頃というあたり、運命の出会いというのは意外に早いという場合もあるということが窺えます。
鈴木のこれからの活躍には目が離せません。