昭和の時代に伝説的な人気を誇っていた歌手、高田みづえ。

そんな彼女ですが、1985年に引退してからはテレビではあまり見なくなりました。

果たして、高田は現在どのような生活を送っているのでしょうか?

プロフィール

生年月日 1960年6月23日

出身地 鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)

職業 元歌手・タレント

活動期間 1977年 – 1985年

事務所 バーニングプロダクション

高田は女子高生だった1976年、フジテレビで放送されていたオーディション番組「君こそスターだ!」で18代チャンピョンになったことを機に芸能界に進出、翌年1977年に「硝子坂」でアイドル歌手としてデビューします。

「硝子坂」は発売からわずか1か月半でオリコンベスト10入りをするなど大ヒットし、その年の日本レコード大賞で新人賞を獲得しました。

また同じ年に「だけど…」「ビードロ恋細工」と続けて発売し、いずれもヒットを記録しました。

その甲斐あって1977年の紅白歌合戦には満を持して出場し、1979年を除いて引退まで出場を続けた。

1979年、「子守唄を聞かせて」のB面に収録された「潮騒のメロディー」が100位以内には通算35週間もランクインする記録的なロング・ヒットを果たした。

「潮騒のメロディー」はオリコンチャートの最高記録は25位であり、そのことが紅白で落選した遠因とも囁かれたが、人気が衰えていないことを証明するかのように翌年の「ザ・ベストテン」では高知県の桂浜から生中継で歌唱を披露しました。

そして1980年、「私はピアノ」で再びブレイクし、シングルの売り上げが50万枚近くを記録するなど「硝子坂」を超えるヒットを記録しました。

「私はピアノ」は日本レコード大賞で金賞を獲得し、その年の紅白では前年の屈辱を晴らし出場を決めました。

また歌手活動と並行してタレント業も行っており、「8時だョ!全員集合」では女性ゲストでは4位の48回のゲスト出演を果たしました。

出演した際は毎回のようにザ・ドリフターズのメンバーと激しいコントを行い、人気を博しました。

夫の今

そんな中1985年2月、同じく鹿児島県出身で大相撲の人気力士だった、当時大関の若嶋津六夫との婚約を発表すると同時に、歌手活動を含めた芸能界の引退を表明しました。

6月5日に「夜のヒットスタジオ」に若嶋津と共演し、最後の芸能活動をしました。

9月にはホテルニューオータニで豪華な結婚式を行い、テレビで生放送されました。

1990年に若嶋津が独立すると、松ヶ根部屋のおかみに就任して部屋を切り盛りするようになります。

高田は二人の子供にも恵まれており、充実した生活を送っていました。

その後高田は自身が関するレコードやトロフィーを手放すなど、芸能界とは距離を置いていました。

しかし2007年の「Dのゲキジョー」において22年ぶりにテレビ出演を果たすと、徐々に出演を増やしていきました。

出演はVTR出演が主でしたが、2012年には「火曜サプライズ」で松ヶ根部屋を訪問した出演者と共演し、2014年には「行列のできる法律相談所」にゲストとして出演を果たします。

しかし2017年、最愛の夫の若嶋津が温泉の帰りに路上で転倒し、頭を強く打ったこともあって緊急入院しました。

一時は意識不明の重体でしたが、5時間にもわたる頭部の手術を受けたこともあり何とか一命をとりとめました。

後遺症が危ぶまれましたが、元力士の体力や高田と二人三脚で取り組んだ賢明なリハビリが功を奏して翌年には完全に回復しました。

現在の姿

そんな高田ですが、2021年1月20日、シングル26枚、オリジナルアルバム10枚のほか、カバーアルバム1枚、コンサートアルバム2枚の183曲がストリーミング配信されました。

これまでも高田の多くの曲はダウンロードで配信されていましたが、デビュー45周年を機にサブスクリプションを事務所が解禁しました。

先述した「硝子坂」「潮騒のメドレー」「私はピアノ」などといった往年のヒットソングが対象です。

さらに183曲のうち59曲がCD化されていない音源で収録されたものであり、幻の名曲が令和の時代に蘇りました。

ネットでは…

「あまり語られないが、彼女は歌が上手い。シングル以外の色々な曲が聴けて嬉しい」

「今振り返ってもいい曲歌っていますね。曲名聞いただけで、メロディーが浮かんできます」

「早速、聴きました!!高田みづえさんの曲も聴きたかったのでほんとうに嬉しいです!」

など肯定的な意見が上がっています。

近年の昭和歌謡ブームも相まって、高田のヒットソングが更なる人気を博することが予想されます。

いかがでしたか!

テレビ出演自体は引退後も稀に行っていたのは少し意外でしたね。

高田が8年間という短い期間にヒット曲を連発していたあたり、歌唱力は80年代でも群を抜いて優れていたといえます。

また40年以上の前の曲であるのにもかかわらず、サブスクリプション化されるあたり、高田の人気はいかに根強いものであるかが想像できます。

令和の再ブレイクを果たすことが出来たら、往年の人気を取り戻すことも夢ではありません。