80年代中盤にて伝説的な人気を誇ったアイドル、おニャン子クラブ。
そんな中でも一二を争う人気を誇ったのが高井麻巳子です。
しかしそんな彼女ですが、一言では言い表せないような壮絶な人生を送ってきました。
今回はそんな彼女の軌跡について紹介していきたいと思います。
プロフィール
生年月日 1966年12月28日
年齢 55歳
出身地 福井県小浜市
血液型 O型
学歴 女子美術短期大学卒
職業 元アイドル
高井は1966年に福井県の小浜市で、自転車屋さんの夫婦のもとに生を受けました。
高井は4人姉妹の次女であり、姉は後にフジテレビ『夜のヒットスタジオ』なので活躍するダンスチーム「Dee-Dee」に所属している高井雅代です。
高井は幼少期の頃から活発であり、徒競走ではいつも一位を記録していました。
他にも様々なスポーツをこなしており、スポーツ万能として小学校でも評判になっていたのです。
中学校に進学すると、高井はソフトボール部に入部し、レギュラーにこそなれなかったもののその俊足を買われて幾度となく試合で活躍しています。
その後地元では名門校と言われている若狭高校に進学し、そこでは「ミス若高」とまで言われるほど多くの友人に恵まれました。
高井は美術大学への進学を希望しており、現役時代も様々な美大を受験しましたが、いずれも不合格となり浪人を余儀なくされます。
当時の福井県には美大予備校があまりなかったので、高井は予備校に通うために上京し、一人暮らしを始めました。
東京で一人暮らしを始めた矢先の1985年4月、高井は『夕焼けニャンニャン』内のコーナー「ザ・スカウトアイドルを探せ!」の出場者を探す企画にて、原宿で俳優の伊藤克信にスカウトされたのです。
高井は『夕焼けニャンニャン』に出演し、そこで「青い珊瑚礁」を歌いました。
高井は思い出作りの予定でしたが、結果は本人ですら予想外の合格であり、そのままおニャン子クラブとしてデビューを果たしました。
10月には岩井由紀子と共に『うしろゆびさされたい』を結成し、『ハイスクール!奇面組』の主題歌『うしろゆびさされたい』で歌手デビューを果たしたのです。
なお高井は芸能活動をしながらも美大予備校に通っており、翌年には女子美術短期大学に合格を果たしました。
その翌年の1986年には『シンデレラたちへの伝言』にてソロデビューを果たし、そこで見事オリコン1位を獲得します。
その後も高井はうしろゆびさされ組の活動と並行してリリースを繰り返しており、まさに出せば売れるという状況でした。
1987年にはおニャン子クラブを卒業し、今後は女優としての活動も進めていきます。
この時高井はまだ20歳であり、これから更なる成功が見込めていました。
子供(娘)の今
1988年5月、高井はおニャン子クラブの立ち上げに多大なる貢献をした秋元康と結婚を果たし、それと同時に芸能界を引退します。
その後4月に短大を卒業していたという事もあって秋元の渡米にも同行し、そこで新婚生活を始めました。
このように高井は当時でもかなり早い結婚でしたが、子どもにはなかなか恵まれず、2001年にようやく長女を出産しました。
ネットなどでは秋元の娘というだけあってアイドルになったのではないかと言う声がとても多く挙がっていましたが、秋元が「娘はオーディションを受けさせない」と語っているようにアイドルになっているという線はかなり低いです。
また高井の娘は慶應義塾幼稚舎に小学校受験をして入学しており、順調にいけば内部進学を重ねて慶應義塾大学に進学します。
慶應義塾の系列校は芸能活動に比較的理解のある学校ですが、それでも両立させるのはかなり難しく、両立している人は芦田愛菜などかなりの少数です。
高井の娘がアイドル活動をしているという事はないと思います。
現在
結婚後はほとんど芸能界に現れることはなかったのですが、2003年に高井は夫の秋元と共に「ぞうネコ」という絵本を出版しており、久しぶりに名前を見ることとなりました。
この絵本はストーリーを秋元、挿絵は高井が担当しており、美術系の短大を卒業した知見をいかしていることが窺えます。
また2013年には小説家の林真理子のブログにて二人で歌舞伎に行ったときの写真があがっており、その変わらない美貌に多くの人が惹かれました。
2015年にはナインティナインの岡村隆史がホームパーティーにて高井と言葉を交わしたとラジオで語っており、今でも元気であることが窺えます。
なお岡村はおニャン子クラブのファンクラブにも参加しており、突然の引退の真相についても聞いてみたとのことですが、それとなくはぐらかされたとのことです。
2022年現在でも高井の身に何かあったというニュースは聞きませんので、平和に夫婦仲睦まじく生活しているのでしょう。
いかがでしたか?
高井が受験勉強や短大と両立して芸能活動をしていたのは少し意外でしたね。
わずか3年間で絶大な知名度を得ることになった高井ですので、いつかは分からないですがもう一度芸能界に戻ってきてほしいです。