東大生タレントブームの火付け役となった女優、高田万由子。
そんな彼女ですが、一言では語れないような壮絶な人生を送ってきました。
今回はそんな彼女の軌跡について紹介していきたいと思います。
プロフィール
生年月日 1971年1月5日
出生地 東京
職業 女優、タレント
ジャンル テレビドラマ・広告・バラエティ番組
活動期間 1991年 –
配偶者 葉加瀬太郎(1999年3月 – )
学歴 東京大学文学部西洋史学科卒業
高田さんは1971年にて一人娘として生を受けました。
祖父の北岡正見さんは著名な医学者であり、東京帝国大学医学部を卒業後研究者の道に進み、戦前では珍しかった博士号を取得し、最終的には国立予防衛生研究所の副所長にまで登り詰めました。
幼き頃の高田さんは大のおじいちゃん子であり、1979年に亡くなるまでは毎週のように遊んでいました。
高田さんは5歳の時、幼稚園御三家にも数えられることのある愛育幼稚園に入園しました。
幼稚園時代の高田さんは泣いている友達を見ると慰めにきたりハンカチを渡したりするなど、非常に優しい性格であり、みんなから慕われていました。
またこの頃から高田さんはフランス語を習い始め、中学校に上がることにはペラペラになりました。
高田さんは祖母が白百合学園の出身だったこともあって、白百合学園小学校に進学しました。
その後高田さんは順当に白百合学園中学校、白百合学園高等学校に進学しましたが、高校2年の時に留学を決意します。
しかし白百合学園高校は在学中の留学を許可しておらず、高田さんは悩んだ末にいったん退学をしてから留学しました。
留学先はスイスのレマン湖のほとりにあるボーディングスクールのル・ロゼであり、学費が1年間で1200万円かかるなど世界一学費のかかる高校といわれています。
高田さんはここでフランス語だけでなく、英語やドイツ語も学び、国際的な視野を身に着けました。
なお白百合学園高校に関しては1年の留学から帰った後に編入試験を受けて復学し、同級生とは1年遅れで高校を卒業しています。
父との関係
高田さんのご先祖は、明治時代に武器商人として名を馳せ、明治三大貿易商として名を馳せた高田商会の創始者の高田慎蔵さんです。
そのこともあって高田さんの家は非常に裕福であり、子供時代は港区虎ノ門にある時価200億円の大正時代に建てられた豪邸で暮らしていました。
なおこの建物は再開発の煽りを受けて2002年に解体されており、現在は虎ノ門タワーズオフィスがその場所に建っています。
そのような名家にて、高田さんの父の祐一さんは先述した正見さんの息子として生を受けました。
高田家は慎蔵さん以降ずっと女系で紡いでいっていましたが、正見さんが婿養子を断ったことにより、当時高田の名跡が潰れそうになっていたのです。
そのこともあってか後に祐一さんは高田家に改めて養子に入り、何とか高田の名跡を継ぎました。
その後祐一さんは学習院大学を卒業後高田商会に入社し、そこで経営手腕を発揮しました。
また高級外車の輸入事業を始め、そこでビジネスを始めました。
そのこともあって祐一さんはかなり羽振りが良く、高田さんが東京大学に合格した際は合格祝いとして高級外車を貰ったほどです。
その後も精力的にビジネスを続けていましたが、2004年に68歳にてこの世を去りました。
現在
そんな高田さんですが、1999年3月にバイオリニストの葉加瀬太郎と結婚し、その年の7月に女児を出産しました。
なお結婚の際には葉加瀬太郎の方が高田姓に改姓しており、高田家の名跡が途絶えることはなかったのです。
その翌年にはビジネス社から自身の受験体験談を記した「サクラサク。―わたしの東大合格物語」を出版しており、作家としてもデビューをしました。
2004年にはTBSドラマ「すずがくれた音」にて初めての主演を務めており、女優時代の心残りを解消しました。
また同年には自身の語学力を活かして、フロランス・グラジア、イザベル・シャルリー著の「ワニのアリステール」の翻訳を行っており、改めて高田さんの多才ぶりを披露しました。
私生活の方も充実しており、2006年には男児を出産しています。
その翌年に高田さんは一家揃ってイギリスのロンドンに移住し、それ以降日本での芸能活動はあまり行っていません。
また先述した長女は2011年、小学生ながらセント・ヴィーダスト・フォレスター・レーン教会において東日本大震災復興祈願のチャリティーコンサートを行うなど、父から受け継いだ音楽の才能の片鱗を見せています。
その長女は2022年11月17日、出版イベントにて日本では初めて父親の葉加瀬太郎さんとのセッションを行いました。
高田さんはその姿を会場の隅から見守り、娘の成長を陰ながら見守ったとのことです。
いかがでしたか?
高田さんが高校時代にスイスに留学していたのは少し意外でしたね。
ロンドンに住んでいるということもあってなかなか芸能活動が出来ていませんが、いつか昔みたいに日本で元気な姿を見せてほしいです。