半世紀近く映画界の第一線で活躍していた俳優、山崎努。
そんな山崎ですが、その人生についてはあまり知られていません。
今回は山崎の軌跡について紹介していきたいと思います。
プロフィール
生年月日 1936年12月2日
出生地 千葉県松戸市
身長 174cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 舞台・映画・テレビドラマ
活動期間 1956年 –
配偶者 黛ひかる(1963年 – )
著名な家族 山崎直子(娘)
学歴 東京都立上野高校卒業
山崎は1936年千葉県で生を受けました。
高校卒業後、何となく俳優になりたかった山崎は俳優座養成所に進み、23歳の時に文学座という劇団に入りました。
山崎はここでメキメキと頭角を現し、翌年に「大学の山賊たち」にて映画デビューを果たします。
またこの年にはTBSの「松本清張シリーズ」にてテレビドラマ初出演を果たし、また文学座でも「熱帯夜」で初舞台デビューを果たすなど幅広い活躍を遂げていたのです。
しかししばらくの間は役に恵まれず、不遇の日々を送っていました。
そのような中でも1963年にNHK「アラスカ物語」に出演するなど全く日の目を見ていなかったわけではなく、またそのドラマではのちに生涯の伴侶となる元宝塚歌劇団星組の黛ヒカルと出会いました。
そんな中1963年、芥川比呂志の独立クーデターに誘われ、山崎は快諾しました。
この独立は秘密裏に行われ、直前まで気付かれることなく計画を進めることに成功し、山崎は新しく作られた劇団雲に所属しました。
その年山崎は黒澤映画の「天国と地獄」にて誘拐犯役を演じ、その演技から大きな注目を集めることとなりました。
またこの映画は誘拐をモデルにしたものですが、この映画に触発を受けてか、これ以降誘拐事件が多発するようになり、のちに誘拐が厳罰化される引き金となりました。
山崎は目標としていた映画で大きな成功を収めたことを契機に黛に結婚を申し込み、その年のうちに石原慎太郎を仲人にして結婚しました。
これ以降、黒澤明監督に本格的に気に入られるようになり、1965年には「赤ひげ」に出演するなど本格的に銀幕での活躍を始めていきました。
またこれを機に活躍の幅をテレビにも広げていきますが、急な拡大路線もあってかしばらくの間はいい役に恵まれず、山崎は苦悩していました。
若い頃
1973年、山崎は朝日放送「必殺仕置人」にて念仏の鉄役に抜擢されると、今まで燻ぶっていたのが嘘のように注目を集め、主役と並ぶ人気キャラクターになりました。
しかしいいことばかりではなく悪いことも起こっており、1975年には所属していた劇団雲が方向性の違いから内部争いが絶えなくなりました。
山崎は若手ながら両者の仲を取り持つように東奔西走しましたが、どちらも聞く耳を持たなかったこともあり、劇団を離脱してフリーの俳優になりました。
そんな中、山崎は深作欣二から東映の「新仁義なき戦い 組長の首」への出演を打診されます。
山崎は「ヤクザ映画は自分の柄じゃない」と拒否していましたが、フリーになって不安定になったことや妻から新しい扉を開いた方がいいとアドバイスされたことなどが重なって結局出演しました。
1977年、今後は「八つ墓村」で刀と猟銃で村人を殺しまくるシリアルキラー役を演じ、その怖さから大きな印象を残しました。
また同じ年には先述した「必殺仕置人」の続編も放送されており、まさに山崎の俳優人生にとってこの世の春も同然でした。
しかし山崎には「同じ役は二度と演じない」という強いポリシーがあり、前作で大ヒットした念仏の鉄を髪型を変えたり足を引きずったりするなどして少しイメージを変えて演じました。
このイメージチェンジは視聴者の間では概ね好評であり、山崎は監督にどうイメージを変えるかをまとめた紙を渡したりするなど最後の最後まで試行錯誤を続けていました。
1980年には黒澤映画の「影武者」にて武田信玄の弟の武田信廉役を演じ、これが評価されキネマ旬報報知映画賞にて助演男優賞を獲得し、俳優として確固たる地位を獲得しました。
現在
山崎の活躍は21世紀に入っても留まることを知らず、2004年の「世界の中心で、愛をさけぶ」、2007年の「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」、2018年「モリのいる場所」など映画への出演を続けていました。
しかし2019年「長いお別れ」への出演の後は全くと言っていいほど表舞台から姿を消し、一時は死亡説まで流れました。
しかし女性自身の報道によると、どうやら妻の黛が階段から転倒して大けがをしたことにより介護が必要になったことが理由とのことであり、山崎自身は健康で元気とのことです。
コロナ禍が終わって妻の容態が安定したら、是非山崎には映画に再び出演してほしいものです。
いかがでしたか?
山崎が高校卒業後すぐにではなく、しばらくたってから劇団に入っていたことは少し意外でしたね。
同じ役を演じたくないという一心で少し演技を変えるという発想があるあたり、山崎が一流の役者であることが窺えます。
山崎には、是非生涯現役でいてほしいものです。