CHAGE and ASKAのメンバーで音楽界でもトップを走ってきたASKAさん。
知らない方はいないというほど超有名なアーティストですが、一時薬物問題でゴタゴタになった事でも知られていますよね。
そんなASKAさんの現在のブログなどが話題となっているようです。
最近のASKAさんは心配される声も多いのでどんな内容か気になりますよね。
ということで、今回はASKAさんの近況をご紹介いたします。
プロフィール
氏名:宮崎 重明(みやざき しげあき)
生年月日:1958年2月24日(60歳)
出身:福岡県・大野城市
学歴:第一経済大学
ジャンル:ロック、J-POP
職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家
経歴:
ASKAさんは福岡県の大野城市に産まれます。
中学までは大野城市で育ったものの、父親の転勤を機に北海道・千歳市へ転居することになります。
ちなみにASKAさんの父親は自衛官であり、その父親に幼い頃から剣道を習っており、高校時代に3段を取得しています。
その実力もあってか、高校2年の時には剣道の北海道代表としてインターハイの個人戦に出場しています。
北海道では5年ほど過ごしましたが、高校2年のインターハイ終了直後にまたもや福岡に舞い戻ります。
福岡では福岡第一高校に編入。
同じ学校には柴田秀之(CHAGE)も在籍していました。
ここまで音楽とは全く縁がなかったASKAさんですが、高校3年の春に時間的余裕があった事から音楽に触れるようになり、そこから音楽の道へすすむようになったといいます。
デビューのきっかけとなったのは1978年の第15回ポプコン福岡大会に出場したこと。
このとき別々で出場していたCHAGEさんがグランプリを獲得、そしてASKAさんが最優秀歌唱賞を受賞。
その時に大会のディレクターから「二人で組んで九州大会に出場しないか?」といわれ、ポプコンの九州大会にペアで出場したところ優秀曲賞を獲得します。
これがきっかけでCHAGEさんとASKAさんは組むようになり、その後の大会でもペア(グループの時もあった)で出場しました。
するとヤマハのプロデューサーの目に留まるようになり、ついに1979年「ひとり咲き」でデビューしました。
数々の有名な楽曲を発表している彼らですが、ASKAさんはこの活動とは別に作曲家としても有名です。
なんと光GENJI「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」はいずれもASKAさんが提供した楽曲であり、いずれも大ヒットしています。
CHAGE&ASKAとしての活動は2009年にお互いのソロ活動を尊重するという形で活動休止が発表しました。
その後はソロで精力的に活動してきたASKAさんですが、2014年にあの事件が起こってしまいます。
2014年警視庁組織犯罪対策第五課に覚せい剤取締法違反で逮捕されます。
この事件は大物歌手の逮捕として多くの報道がなされ、また芸能界に蔓延する覚せい剤の闇も大きく取り上げられました。
その後保釈が許可されたASKAさん。
2016年からは活動再開に向けて準備を始めます。
まずは逮捕からの長い沈黙を破るかのように約12万字にも及ぶ長文ブログを公開しました。
2017年には地元のローカル番組「ももち浜ストア」に出演。
逮捕後初のテレビ出演を果たし、本格的に活動を再開していきます。
ブログがヤバい!?
ブログで約12万字にも及ぶ長文を掲載したりとブログ発信で色々話題が多いASKAさんですが、その内容が一部かなりヤバいとネットで話題になっているようです。
未だ覚せい剤の闇から抜けられていないのではないかという反応まであったようです。
以下、気になるブログの内容を少しピックアップしてみました。
※長いのでかなり中略しています
0.700番
2016-01-09
みなさん、お久しぶりです。ASKAです。この度は、私を信じてくれていた皆さんを裏切るような行為をしてしまい、深く深く反省しております。本当に申し訳ありませんでした。心から謝罪をさせていただきます。事件から約1年と半年が経ちました。溢れかえったマスコミ報道の洪水の中で、私を愛してくれたみなさんがどれだけ苦しまれたかを思うと、胸の痛みは最大限に達しております。今回、私には何があったのか、どうしてそうなったかをお伝えしようと思いました。スタッフ、家族、数人の友人など「語るべきではない」と愛情を持って反対する人もいました。反対する人の理由は、私には歌があるから、歌で今後の人生を乗り越えて行くべきだというアドバイスです。もちろん、公開することに同調してくれる人たちもいましす。様々な意見はありましたが、やはり私は皆さんとの絆の中で、あったことを直接私の口から伝えることこそが絆だと感じました。今からここで語ることで、さらに胸を痛める方々もおられることでしょう。「聞きたくなかった」と思われる方々も出てくるでしょう。私は、悩みました。しかし、私は皆さんの前で、優しさに甘え、何もなかったかのような顔で再びパフォーマンスをすることはできません。間違った行いをしてしまったことを認め、人生を悔い改め、その上で皆さんの前に立とうと決心をいたしました。(中略)
10.盗聴
(略)
ある日のことだ。情報を元にネットサーフィンをしていたら、気になるページがあった。私が、その日に電話で喋ったことや、行動に酷似したことが、克明に書かれているのだ。毎日、毎日それは続いた。電話の内容などはすぐに書き込まれていく。偶然だとは思えない。「盗聴・・?」
周りに話しても誰も信じようとはしない。誰かに監視されている。
(略)
そのうち携帯を持っていると家の中の会話も書き込まれるようになった。家族との会話が公開されるのだ。ツイッターだが、そこにリンクを張っている連中のところはどれも盗聴の内容で埋められていた。
ある朝、携帯の前で、
「オマエら、いい加減にしろ!何が楽しいんだ!」
こう、怒鳴ってみた。すると、
「さあ、今日なんと神のお声を頂きました。」
と、書いてくる始末なのだ。電話の電源を切っていてもダメだった。また、友人に送ったメールの内容を読んだ感想をことごとく書かれる。同級生で刑事の友人に相談をした。
「考えすぎだ。そんな事例はない。偶々行動や発言がリンクしているんだろう。日本のデジタル電話の波形は解読できない。」
と言う。会社の連中も真に受けない。これだ。友人が死んだのは・・。
(略)
そんな生活が2年近く続き、私は心が弱ってきているのが分かった。初めてカウンセリングというものを受けることになる。話を聞いてくれるので心は安らぎを覚えたが、精神薬を処方されてしまった。しかし、私はそれを飲まなかった。精神薬というのは、健常者が飲んでしまうと、脳への刺激で本当に精神病になってしまうからだ。そんな中のコンサートツアーは本当に苦しかった。ホテルでの行動もすべて公開されるのだ。部屋に迎え入れたゲストの名前なども書き込まれる。自宅の仕事部屋に特殊なものが仕掛けられているのかもしれないと思い、ついに仕事部屋の壁を壊して大改造することになった。
(略)
私は相変わらずの盗聴盗撮でヘトヘトになっていた。何よりも辛かったのは、誰も信じないということだ。信じさせるためには証拠集めをするしかない。証拠はCD-Rに30枚ほどになっていた。私は一度だけ部屋で大声を出したことがある。自分でも驚くほどの声だった。これに反応すれば証拠となる。思った通り、その叫び声はサンプリングされて、今、大手ゲーム会社のゲームで使われている。あの時の自分の声だ。間違いはない。ゲーム会社はその事実を知らないだろう。盗聴はひとりふたりの個人的なレベルではない。ある動画サイトのプログラマが中心となってやっているのだ。私は訴えを起こすために著名な弁護士を集めてもらった。しかし、今まで起こってきたことを手順良く説明するためには、どう説明すれば良いのか分からなくなっていた。それほど証拠が増えていたからだ。
(略)
11.覚せい剤
私は留置場を出た後、千葉の病院に入院した。私は病気ではないので、裁判では「在宅」(自宅で過ごすこと)を貰ったのだが、私は敢えて病院を選んだ。そこは通常2週間から3週間で退院となるシステムだが、私は裁判官の心象を良くするため、弁護士が作成した「治療に専念する」という声明文を出した。そして、裁判が終わるまで約7週間の入院を希望した。週刊誌が書いたような病気であるとか、症状が重かったなどというわけではない。その病院では、私が盗聴のことを説明したために、患者に見られる顕著な症状と見なされ、妄想を鎮静させるための薬を投薬されてしまった。朝昼晩、3回投薬される。とても強い薬だった。思考が働かなくなる。殆どの覚せい剤患者には幻覚、幻聴、妄想があるので、私もそうだと思われてしまった。私の盗聴盗撮は症状によるものではない。盗聴盗撮は覚せい剤を知る2年以上前から始まっていたからだ。盗聴盗撮グループにとって、私が覚せい剤を始めたのは好都合だった。すべて妄想で片付けられてしまうからである。(中略)
20.追記
一部のマスコミのみなさんへ。
これを公開したことでの反響は大きいでしょう。私は、決心してこれを公開しました。今後、この事件に関して追従する取材は一切受けるつもりはありません。これ以上語るつもりはありません。自宅へは来ないでください。一日中、インターホンを鳴らされ続けるストレスは、当事者でなければご理解いただけないでしょう。福岡の実家に向かうことも止めてください。現在、年老いた私の母は重度の病を患っております。居間から玄関まで歩いて行くことも重労なのです。父は、そんな母の介護に一生懸命です。書籍が売れる、視聴率が得られるということだけで、一般人である両親や、家族、そして今回罪を着せられてしまった女性を苦しめることだけは止めてください。一切の責任は私にあります。
今、私は私の犯した罪を全面に受け止め、悔い改め、新しい朝に向かって歩こうとしております。マスコミの方々の心の中にも良心があることは十分理解しております。どうか私以外の人たちを苦しめることだけは止めてください。心からのお願いです。長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。ASKAこれは。12月1日に公開する予定でいましたが、盗聴盗撮の証拠資料をいつでも出せる状態でなければならないと考えました。それを用意している最中の出来事です。私には、台湾で俳優をやっている友人がいます。ロニーと言います。彼が私の家に遊びに来た時に、起こったことの全てを話しました。彼は。元海軍兵士で情報機関に所属しておりましたので、パソコンには精通しており、プログラマと同等のスキルを持っています。私に起こった出来事について「ASKAの思い違いではない。実際、盗聴盗撮は氾濫している。そして、アジア中のメディアによって作られてしまったイメージを回復させるためにも、この文章を翻訳してアジア圏で紹介するべきだ。中国圏は私がやる。」と、言ってくれました。
(略)
盗聴盗撮集団に告ぐ。
私は、君たちがいちばん恐れていることを、この本の中では書かなかった。書かないであげたのだ。命拾いしただろう?
いますぐ、私への行為を止めなさい。止めないのであれば、君たちの犯した事実を世間に公表することになる。そうなれば警察も再捜査に乗り出すだろう。証拠?私が6年間取り溜めた証拠の中のひとつの写真を公開しようか?と、思ったが寸前のところで思い止まった。先ほど、一度は証拠の写真を貼り付けたのだが、窮鼠猫を噛む状態になることは私も望んでいない。なので、今それを削除した。君たちが私のことを語り合っていた盗聴の完全なる証拠となるスレッドだ。同じURLで違う内容のものが存在している。私が、コピーをした直後に君たちが慌てて内容を書き換えたものだ。私は、君たちの組織のスタッフのひとりを見つけ出し、それを見せた。彼は絶句していた。「こういうことは絶対にありえない」との証言も得ている。その書き込みは両スレッドともダウンロードに成功している。君たちが行った証拠隠滅だ。覚えはあるだろう?(私への報復を)やれるものならやってみればいい。脅しは性格上本意ではないが、君たちが続けるのであれば、私も行動に移せざるをえない。私は、君たちに時間を与えるつもりはない。この場で直ぐに止めることを強く要求する。これは最終警告だ。ASKA
確かにちょっと過激で怖いイメージがありますよね。
自宅写真が話題
ASKAさんといえば、自宅の件でも話題となっています。
というのも、ASKAさんは現在自宅には戻っておらず、その自宅は売りに出されているようです。
総工費が数億円を軽く超えると言うその豪邸なのですが、買い手がなかなか見つからないようです。
そんなASKAさんの自宅ですが、住所も特定されて話題になっているとか。
外観もばっちりネット等でも流されていて、そこでは、その豪邸さが伺えます。
噂では保育施設になるのでは?という噂まであるということですが、どうなるのでしょうか?
現在は何してる?
現在、ASKAさんは復帰後、精力的に音楽活動をしているようです。
今年に入ってからは1月31日にASKAオフィシャルサイト「Fellows」を開設、そして音楽配信も積極的に実施しており、今年に入ってすでに6つの楽曲を配信しています。
ASKAさんはYoutubeでチャンネルも開設していて、MVが閲覧できます。
ツアーなども多数計画されており、ついに2019年には本格的にASKAさんがメディアに続々と登場してくるでしょう。
今朝の新聞より。
嬉しいな〜😊#ASKA pic.twitter.com/2wOuEeVHc2— あやっぺ (@IlcaAr) December 27, 2018
覚せい剤で一度は大変な苦労をされたASKAさん。
今年10月には覚せい剤による執行猶予が明け、いよいよ復帰のペースを加速させられるという所のようですね。
今後は覚せい剤には二度と手を出さずに、ファンのために様々な楽曲を世に提供していって欲しいですね。
2019年のASKAさんに注目です。