天才卓球少女として知られているアスリート、福原愛。
そんな彼女ですが、現役を引退してから表舞台で見かけることが少なくなっています。
果たして現在どのような生活を行っているのでしょうか。
プロフィール
福原愛
愛称 愛ちゃん 天才卓球少女
生年月日 1988年11月1日
出身地 宮城県仙台市
居住地 中華民国
血液型 B型
身長 155cm
学歴 早稲田大学スポーツ科学部中退
職業 Tリーグアンバサダー
福原は生後6か月でスイミングを始めましたが、10歳年上の兄が中国の卓球元チャンピオンから指導を受けていた影響で3歳から卓球を始めました。
最初は身長が足りなかったこともあってゴミ箱に乗って高さ調節をするなどしていましたが、平日4時間、休日8時間の練習を毎日行ったことによりみるみる上達していきました。
僅か数か月で100本ラリーを完璧に出来るようになり、1年も経たないうちに1000本ラリーが出来るようになりました。
初の公式戦は4歳の時に開催された宮城県小学生卓球選手権大会であり、福原は初出場ながら優勝し、全国大会でもベスト16に入るなどの快挙を遂げました。
またこの公式戦の最中に福原は緊張のあまり泣き出しており、「泣き虫愛ちゃん」という呼称で親しまれることとなりました。
このことがマスコミで取り上げられてバラエティ番組などにも出演する一方、その後も様々な大会で優勝を重ねていくことにより天才卓球少女の地位を確たるものにしました。
その後小4の時プロ宣言をし、プロで通用する技を身に着けるため大阪府の八尾市に引っ越しました。
福原はその時通っていた王子卓球センターの作馬六郎から王子サーブを伝授され、以後福原の伝家の宝刀となりました。
小6時にITTFジャパンツアーで代表デビューを果たします。
中学校は紆余曲折の果てに学業とプロスポーツとの両立に理解のある青森山田中学校に入学します。
福原の進撃は留まることを知らず、世界各地のツアーで安定した成績を見せました。
そのような功績により世界卓球選手権個人戦に抜擢され、ベスト8にまで行きました。
この結果によりアテネ五輪アジア予選の内定を手に入れます。
その後予選でシングルス3位となり、福原は本選にも出場することになります。
本選では4回戦まで出場し、3回戦に至ってはメダルがかかってない試合なのにも拘らず最高視聴率31.9パーセントを獲得するなど日本人選手の中ではトップクラスに注目されていました。
その後は中国リーグに参加し、学業と両立させながら中国大陸を往復する生活が続きました。
また国内でも特例でインターハイへの出場が認められており、その圧倒的な実力を見せつけました。
しかし高校3年生の最後のインターハイの決勝にて、宇土弘恵にまさかの敗北を喫し、福原は初めての挫折を経験しました。
その後福原は北京五輪では思うような結果を出せず、そのことが大学を中退して卓球に専念するということを福原に決意させました。
住まいは日本?
福原は現在東京と台南にて二拠点生活を行っています。
東京の拠点は一戸建てであり、一人暮らしにしてはとても広いです。
福原は以前インタビューにて子供が成長したら東京に拠点を移したいと述べており、将来的には拠点を東京に完全に移すことも予想されます。
一方台南の拠点は高級マンションであり、福原は贅沢に2部屋を使っています。
当初は夫のコーチから譲り受けた大豪邸で暮らしていましたが、階段が多くて疲れるということで売却してマンションに引っ越しました。
台南の拠点では夫とその子供、福原の母親が暮らしており、足を悪くした母親のためにバリアフリー対応がなされています。
激痩せした?
福原は現役時代からハードな練習とそれを補うかのような食欲によって体重の増減が激しかったです。
また大会の時は緊張により食が細くなり体力が出ないことが多く、それ故大会前には体重を増やしてエネルギーを蓄えてから臨むことが多かったです。
現役引退後は筋肉が衰えたこともあって少し細くなりましたが、それでもランニングを続けるなど体力の維持に努めています。
またネットでは夫からのモラハラが原因ではないかと言われていますが、根拠はなくデマであるという見方が濃厚です。
現在、何してる?
その後福原はプロツアーを中心に活動することによって徐々に感覚を取り戻し、ロンドン五輪女子団体では銀メダル、リオデジャネイロ五輪では銅メダルを獲得するなどオリンピックでもその力を発揮しました。
しかし福原は実力と人気とは裏腹に金メダルには全くと言っていいほど縁がなく、2018年に遂に一度も金メダルを獲得できないまま引退する事になりました。
引退後は表舞台から遠のいていましたが、2021年2月に福原は友達と一緒に社会貢献のための会社「omusubi」を設立しました。
選手から次のステージに進んだ福原の活躍が期待されます。
いかがでしたか?
福原が一度も金メダルを取れていないことは少し意外でしたね。
学業とプロスポーツを両立していたあたり、福原のバイタリティの凄さが垣間見えます。
感染症との影響で台湾との往来が難しいですが、国境を越えた活躍を見せてほしいです。