元プロ野球選手として活躍していた古木克明さん。
ドラフト1位で入団ということで、昔の年俸が結構凄かったと言われていますね。
そんな古木克明さんのプロフィールや昔の年俸はいくらだったのか?
そして現在の活動などまとめてご紹介しましょう。
プロフィール
まずは、古木克明さんのプロフィールからご紹介します。
・本名:古木克明(ふるきかつあき)
・生年月日:1980年11月10日
・出身地:三重県松阪市
・身長:182センチ
・体重:85キロ
高校時代は甲子園にも出場し、活躍。
1988年ドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名を受け入団
松坂大輔選手のハズレ1位でしたが、同じ時代だったという事ですね。
1999年から2001年までは2軍で結果を残し、2003年には開幕スタメンで起用され、22本塁打と放ちました。
しかし、当時の横浜ベイスターズは主力が決まっていたため、そこに食い入ることができずなかなかレギュラー出場はできませんでした。
また、長打力はありますが、守備が悪く、チャンスに弱いということもあり、2007年オフにオリックス・バファローズへ移籍しています。
それでもなかなか結果が出せず、2009年10月に戦力外通告を受け、トライアウトに参加しますが獲得球団が現れず、現役を引退しました。
その後、「野球に未練は無い」ということで、格闘家に転身。
格闘家としては2011年に判定勝ちで初勝利を収めていますが、その後、結局は野球が頭から離れないということで、野球に再挑戦していますね。
やっぱり、小さい頃からやっていた野球が大好きということなのでしょう。
昔の年俸
元プロ野球選手ということで、年俸が気になりますよね。
今のプロ野球選手は活躍すれば何億というお金が貰えているみたいですし、古木克明さんがどれぐらいの年俸だったのかは気になります。
調べてみると、以下の様になっていました。
・1999年度:800万円
・2001年度:840万円
・2002年度:820万円
・2003年度:1,640万円
・2004年度:2,500万円
・2005年度:2,500万円
・2006年度:2,300万円
・2007年度:2,800万円
・2008年度:2,800万円
・2009年度:2,400万円
ということで、生涯年俸は2億円を越えていると思われます。
これだけもらっていれば凄いなって一般人は思いますが、プロ野球選手としてはそれほど稼いでいたということでも無いですよね。
1軍も定着していませんし、活躍していればもっと稼いでいたことでしょう。
今とは時代も違いますし、なんとも言えませんけどね。
プロ野球選手は稼ぐお金も多いですが、出費も多いと言いますし、基本選手として活躍しているウチに稼がないと、引退してからは厳しいですからね。
そう考えると、古木克明さんの年俸はそれほど多いとは言えないと思います。
現在
プロ野球を引退し、格闘家としてもそれほど活躍できず、また野球の世界に戻ってきた古木克明さん。
格闘家をやめた理由として「死ぬかもしれない」という恐怖に絶えきれなかったということです。
確かに野球をしていても死ぬ恐怖っていうのはそれほどないでしょうからね。
全然別の世界に行ったというのがわかったのでしょう。
格闘家をやめてからは、米独立リーグでも野球をしていた事もありますね。
その後、宮城県に移住し、2014年にプロアスリートとして初の復興支援活動を伴う、一般社団法人スポーツFプロジェクトを設立。また事業をしながら、事業構想大学院大学の大学院生としてMPDを取得し、2016年3月終了。
現在は「The Baseball Surter(ベースボールサーファー)」という自身のブランドを立ち上げていますね。
アパレル事業としてTシャツやパーカーを製造し、さらには、野球スクールや草野球のイベントに参加などと多方面で活動しています。
野球の楽しさを幼稚園や小学校の子供達に伝えたいという思いがあるようです。
野球の裾野を広げると言う活動と言えるでしょう。
また日本の野球をもっとカッコ良くしたいと、古木克明さんは考えているそうで、例えば米国では野球ファンではなくてもヤンキースの帽子をファッションとして取り入れている人が多いですよね。
しかし、日本ではそんなことはありません。
昔の子供はよく日本球団の野球帽を被っていたイメージはありますが、今は少ないでしょう。
そういう意味では、野球というのをもっともっとメジャーにしたいという思いがあるのでしょう。
他にも、子供達への指導法なども、今の日本の指導者はダメだと思っているようです。
体罰はなくなったけど、言葉の暴力は今でもあると考えていて、自分の野球スクールでは楽しむ事を最優先にしているということ。
波瀾万丈な野球人生を送ってきましたが、それでも野球が好きだから今でも関わっているのでしょう。
そして子供達に野球を好きになってもらい、楽しくしてもらいたいという事を願っているようです。
「まだまだ目立ちたい!何かしらの生きざまを見せたい!野球で名前を残せなかったから、別の道で後世に名を残したい」と語っている古木克明さん。
まだまだ夢半ばということで、今後の活躍に期待したいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。