伝説的ロックバンドBOØWYのボーカルを担当していた氷室京介

人気絶頂期であった1987年に、突然の解散宣言をしました。

そんな彼は、第一線から退いた現在、どのような暮らしをしているのでしょう。

逮捕の噂も?

プロフィール

氷室京介(ヒムロ キョウスケ)ロックボーカリスト、シンガーソングライター。

1960年10月7日生まれ、群馬県出身。

O型。

所属事務所はBeatNix。

ロサンゼルス在住。

1980年、デビューしたものの思い通りにならないことが多く、群馬へ帰る決意もした頃、当時の彼女から貰ったチケットで、思い出のつもりで7月5日日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブを観る。

それが新たなモチベーションを与えたと言われている。

当時18歳の布袋寅泰を電話で六本木の「アマンド」に呼び出し、バンド結成の話を持ちかけた。

そして、彼の協力のもと曲を作り、新たなバンド作りに取り掛かる。

2人が再会した際に、布袋は「群馬時代は硬派な印象だった氷室の風貌がニューウェーブ風になっていることに驚いた」というエピソードを残している。

9月、松井恒松が加入。

その後、深沢和明・諸星アツシが加入。

1982年、氷室狂介の名前で、ロックバンド・BOØWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。

1987年12月24日、およそ6年の活動期間を以てBOØWYは解散する。

1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。

同年オリコン年間順位8位となった。

1994年以降、国外での音楽制作が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住した。

ロサンゼルスという環境で、本場の名だたるエンジニア、ミュージシャン等との作業がしやすくなった。

近年はセルフプロデュースが主であった。

逮捕説の真相

氷室京介さんを検索すると…「逮捕」というキーワードが出てきます。

一体どういうことなのでしょうか?

調べてみると、これは氷室京介さんの”名付け親”でもありました音楽プロデューサーの月光恵亮氏が、覚醒剤容疑で逮捕されたということでした

この月光氏は1952年生まれの65歳で、東京都府中市出身。

京都産業大法学部卒業後、テレビ番組制作会社「オフィス・トゥ・ワン」に入社。

78年に、作曲家の長戸大幸氏とともに音楽制作会社「ビーイング」を設立し、副社長に就任。

氷室京介さんの名付け親でもあり、BOØWYの音楽制作に関わっていました。

その後、84年に独立。

リンドバーグやシャ乱Q、モーニング娘、世良公則、小比類巻かおるなどの音楽プロデューサーを務めていた大物プロデューサーで有名でした。

そして、90年代は飛ぶ鳥を落とす勢いで、次々とヒット曲を生み出していましたが、2000年以降はあまり表に出ることもなく、マスコミに取り上げられたのは音楽配信事業や、東京ガールズコレクションで音楽協力をしたことぐらいで、近年は目立った活動はあまり伝わってこなかったということです。

「仕事の忙しさから使ってしまい、やめられなくなった」ということです。

このようなことから、氷室京介さんは逮捕されていません。

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