歯に布着せぬコメントをワイドショーで繰り広げる俳優、泉谷しげる。
そんな彼ですが、ここに至るまでには一言では言い表せないような壮絶な人生を歩んできました。
今回はそんな彼の人生の軌跡について振り返ってみたいと思います。
プロフィール
生誕 1948年5月11日
出身地 青森県青森市
学歴 東京都立目黒高等学校中退
ジャンル フォークソングロック
職業 シンガーソングライター、俳優
活動期間 1971年 –
事務所 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
泉谷は青森県の青森市にて生を受けました。
泉谷は子供の頃は絵が大好きであり、漫画家になりたいと公言してはばかりませんでした。
中学校に進学すると今度は音楽にハマり始め、ギターの練習に明け暮れました。
その後泉谷は受験勉強を頑張って都立の中堅校として知られている目黒高等学校に進学しましたが、同校の体育会系のノリが泉谷に全く合わず、僅か1週間で退学しました。
この退学についてはかなり衝動的にしたとのことであり、親からは呆れられました。
その後親からは通信制でもいいから高校に通うように言われましたが、学校というものに嫌気が指していた泉谷はこれに反発し、アルバイトに明け暮れる日々を過ごします。
そんな中泉谷は再び音楽にハマりだし、友人たちとロックバンドを結成してバイトの合間を縫って練習を重ねます。
しかし18歳の時、自宅が火災によって全焼してエレキギターやアンプと言った演奏に必要な機材をすべて失いました。
大切な機材を駄目にしたトラウマから、泉谷はこれ以降アコースティック・ギターだけで出来るフォークシンガーに転向しました。
また子供時代のもう一つの夢である漫画家への熱もこの頃高まっており、漫画雑誌の「COM」の「ぐら・こん」に自信の描いた漫画を投稿するなどしていました。
また泉谷は学校嫌いなのにも関わらず、絵の勉強をするために代々木のデザインスクールに通うようになりました。
その甲斐あってか短編集「ヤングパンチ・2号」にて自分の描いた漫画作品「わるい奴ら」が収録されるなど、漫画家としてもある程度の評価を得ることができたのです。
そんな中1971年、泉谷はついにライブアルバム「泉谷しげる登場」にてフォークシンガーとしてデビューを果たしました。
なお当時フォークシンガーは地方出身者の方が売れやすいというジンクスがあり、泉谷もそれに倣って青森生まれという点を強調して売り出していきました。
その翌年の1972年にはセカンドアルバム「春夏秋冬」をリリースし、そこのタイトル曲の「春夏秋冬」は泉谷の代表曲となります。
また同年には「地球はお祭りさわぎ」、その翌年には「光と影」や中川イサト、西岡たかしと連名で出した「友だちはじめ」をリリースするなど精力的に音楽活動に励んでしました。
また1974年には青春時代に自身が熱中したロックの雰囲気を打ち出した「黄金狂時代」をリリースし、そちらも多くの注目を集めました。
足が不自由な理由
そんな泉谷ですが、破天荒なキャラとは裏腹に幼少期はかなり病弱でした。
そのこともあってかポリオウイルスに感染し、生死の境を彷徨ったとのことです。
このポリオウイルスは症状が出るのは1割であり、その中でも200人中199人は何の後遺症もなく完治します。
しかし2000人に1人は手足の麻痺や腰の痛みといった後遺症が残り、治療法は未だ見つかっていません。
泉谷はこのポリオの後遺症により、歩くことなどに支障をきたしています。
なお泉谷の子供時代にポリオワクチンは未完成でしたが、現在は完成しており、そのこともあってかポリオに苦しむ子供たちはほとんどいません。
現在の姿
また泉谷はワイドショーなどで社会問題については歯に布着せぬ発言を繰り広げていますが、言いっぱなしだけでなく様々なチャリティーを主催したりしています。
例えば2010年に宮崎県で口蹄疫が流行した際は、終息宣言後の11月7日に東国原英夫知事の許可を貰って宮崎復興の音楽イベント「水平線の花火と音楽」を開催し、音楽で宮崎の傷を癒しました。
また2011年の東日本大震災の時はGACKTらと共に「SHOW YOUR HEART」という被災者救援募金活動を展開し、他にもトークライブやイベントにも積極的に参加するなどチャリティー活動を繰り広げました。
2020年にはLIVING ROOM CAFE&DININGにて無観客配信ライブ『泉谷しげる 初配信ライブ“コロナのばかやろー!”』を開催しました。
このイベントについて泉谷は「コロナのばかやろーのせいで、ライブをやるヤツが職を失ってしまった。だからオレたちはスタッフのために仕事を作ったんだ。」と語っており、コロナで仕事を失った音楽関係者の力になりたいという意気込みが伝わってきます。
泉谷の今後の活躍には目が離せません。
いかがでしたか?
泉谷が高校をわずか1週間で退学していたのは少し意外でしたね。
コロナは徐々に収束していっていますので、泉谷のライブをまた生で見られる日はそう遠い日の話ではないでしょう。