伝説的な棋士として知られている加藤一二三。
そんな彼ですが、そこに至るまでには一言では語れないような壮絶な人生を送っていました。
今回はそんな加藤さんの人生の軌跡について振り返っていきたいと思います。
プロフィール
生年月日 1940年1月1日
プロ入り年月日 1954年8月1日
引退年月日 2017年6月20日
職業 将棋棋士
学歴 早稲田大学第二文学部中退(京都府立木津高等学校卒業)
棋士番号 64
出身地 福岡県嘉麻市
所属 日本将棋連盟
師匠 剱持松二九段
段位 九段
加藤さんは1940年の元日に福岡県の嘉穂郡稲築村にて生を受けました。
一二三という名前の由来は「1月1日(紀元二千六百年)に産まれた三男」から来ており、かなり縁起のいい日に生まれたとして周囲からめでたいと言われました。
そんな加藤さんが将棋と出会うのは幼稚園の頃であり、近所の子供たちが指しているのを見て興味を持つようになりました。
それを見て加藤さんは将棋にのめりこみ、子供たちと将棋を指すようになりますが、すぐに常勝するようになって飽きてしまいました。
その後、加藤さんは普通の小学校生活を送っていましたが、小学校4年生の時に新聞に掲載されていた将棋の観戦記と詰将棋にインスパイアを受け、もう一度将棋に対する関心を取り戻しました。
今度は大人と将棋を指すようにしていましたが、それでも1年近く経つ頃には加藤さんが常勝するようになったのです。
そんな中、加藤さんは小学校6年生の夏休みに父親と共に京都の親戚の家を訪ねます。
そこで将棋大会に参加し、見事優勝しました。
それを見た審判長を務めていた南口繁一さんから指導対局を受けて、2枚落ちで2連勝をしました。
それをみた南口さんは加藤さんに棋士を目指すように勧め、加藤さんはそれを受け南口さんの内弟子となりました。
なおそれ以降、加藤さんは京都府相良町木津町にある南口さんの自宅にて住み込みで修業するようになり、高校を卒業するまでそれは続きました。
過去の伝説
加藤さんのライバルとしては大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖などそうそうたる人物がいますが、その中でも多くの逸話が残っているのが神谷広志さんです。
加藤さんは対局のさなかに音が聞こえることをかなり嫌っており、それゆえ音のしない電気ストーブを愛用していました。
神谷さんとの対局の際も当然電気ストーブを使い、加藤さんは神谷さんが寒くならないように自分が使っていたストーブを神谷さんに向けて配置しました。
そうしたら神谷さんが嫌がらせと誤解して、「顔が熱くなるからやめてください」と注意を受けたのです。
また加藤さんは駒が歪んでいるのが気になる性格なのに対し、神谷さんは駒を差すとき以外で駒に触られるのを非常に嫌がっていました。
そのようなこともあって神谷さんの歪んだ駒を加藤が直した際は、神谷さんから「私の駒に触らないで下さい」と猛抗議を受けました。
なおその時加藤さんは「将棋は駒をとったり取られたりするゲームなのだから、自分の駒とか相手の駒とかないだろう」と考えたとのことです。
このような二人ですが、数多くの名勝負を繰り広げており、特に2000年のNHK杯の対局は後世にも残る名勝負でした。
現在
2016年12月24日の第30期竜王戦にて加藤さんは14歳2か月でプロ棋士となった藤井聡太さんと対局し、大きな注目を集めました。
藤井さんは加藤さんが保持していた最年少棋士記録(14歳7か月)を62年ぶりに更新し、新旧の最年少棋士記録保持者が相まみえることになりました。
また加藤さんは当時76歳8か月であり、62歳6ヵ月と史上最も年齢差のある棋士同士の対局となったのです。
この歴史的な対局は110手で加藤さんが敗れたものの、改めて加藤さんの実力を再確認することとなりました。
その後、加藤さんは2017年1月3日に最年長現役棋士記録(77歳+1日)を、1月12日に最年長対局記録(76歳11か月)を、さらに1月20日には最年長勝利記録を77歳0か月で更新し、最年長記録の樹立を続けました。
しかし順位戦にて加藤は1勝7敗と戦績が振るわなかったこともあり、フリークラス規定により残りの試合を全て終えた時点での引退が確定したのです。
現役最後の対局は2017年6月20日に高野智史さんと行われ、それに敗れたのをもって62年11か月にもわたる長い現役生活に幕を閉じました。
その翌日、加藤さんは日本テレビの「スッキリ」に出演し、MCの加藤浩次さんから花束が贈呈されました。
その出演を契機に加藤さんのメディアへの出演は増え、7月からはワタナベエンターテインメントとマネジメント契約を締結しました。
また、同時期に娘が教員を務めている仙台白百合女子大学の客員教授に就任し、学園祭でトークショーを開催するなどしました。
しかし長年の棋士人生で体を酷使したこともあってか、11月2日に胆石性急性胆嚢炎と診断されるなど体調面のトラブルもありました。
幸いにして診断を受けたその日に手術をしたことにより、加藤さんは完全に回復しています。
その翌年の春には 旭日小綬章を受けており、2022年には文化功労者になるなど国からも加藤さんの功績は認められているのです。
いかがでしたか?
加藤さんが中学生の頃から親元を離れて生活していたのは少し意外でしたね。
これからは長い現役生活にできなかったことをたくさんやってほしいです。