小泉純一郎、小泉幸太郎、小泉進次郎といえば、知らない人はいないと言ってもいいぐらいなのではないでしょうか?
小泉純一郎さんといえば、総理大臣を2001年から2006年まで務め、今でもその発言は注目の的。
その息子さんの孝太郎さん、進次郎さんも有名ですが、実はもう1人息子さんがいるのをご存知でしょうか?
プロフィール
名前:宮本佳長
年齢:1982年生まれ 36歳
出身大学:京都外国語大学中国語学科
小泉純一郎さんの三男。
しかしその生い立ちはかなり複雑のようです。
母親は宮本佳代子さん。
祖父はエスエス製薬の会長泰道照山さんだそうですから、お嬢様です。
1977年に小泉純一郎さんとお見合いをし、純一郎さんは、彼女を一目で気に入ったそう。
すぐにプロポーズされたと言います。
しかし、祖父の泰道さんは結婚に反対していたとか。
1978年、佳代子さんの妊娠により、小泉純一郎さんと宮本佳代子さんは結婚します。
そして同年、長男の孝太郎さんが生まれます。
宮本さんは出産半年後に、三井不動産のグループ会社に入社。
小泉家に入り、出産もしながら仕事もするというハードな生活でした。
そして、1981年には次男の進次郎さんを出産。
しかし、1982年に小泉純一郎さんと宮本佳代子さんは離婚することになってしまいます。
宮本さんはまだ27歳で、長男孝太郎さんは4歳、進次郎さんは1歳という幼い時でした。
また、離婚時、宮本さんのおなかには三男の佳長さんがいました。
離婚の原因については、慣れない政治家一家の中での結婚生活で、宮本さんが体を壊してしまったとか、小泉純一郎さんの母親や姉との折り合いが悪かったからなどと言われています。
当時、小泉家には小泉純一郎さんの母親と姉が二人同居していました。
家の実権は姉が握っており、宮本さんは家の中で孤独を感じるようになったようです。
宮本さんが家を出るとき、小泉純一郎さんは「君子、去る者は追わず、来る者は拒まず」と言ったそうです。
宮本さんは実家の鎌倉市へ戻り、三男の佳長さんを出産。
小泉家では三男佳長さんの親権も取ろうとしたそうですが、それは叶わず、佳長さんは宮本さんが育てることになったのです。
孝太郎さんと進次郎さんは、父・純一郎さんのお姉さんが母親代わりとなりました。
進次郎さんは中学生まで、そのお姉さんを本当の母親だと信じていたと言います。
その後、佳長さんは、女手一つで育てられました。
「父親が有名でも、あなたとは関係ない。あなたの母はサラリーマン。勘違いしないでいいて生きなさい」と言い聞かせたといいます。
宮本佳代子さんは、不動産業界でキャリアを積みながら、子育てにも励みました。
しかし、孝太郎さんと進次郎さんに会うことは許されなかったそうです。
佳長さんは、中学を卒業後アメリカに留学し、テネシー州にある高校へ通いました。
高校卒業後は日本に戻り、京都外国語大学中国語学科で中国語を学びました。
三男の職業や現在の活動は次ページから!!
政治家の家系を守り育てる気持ちは私達凡人には想像を絶する責任があるかとは思いますが
実の母親から子供を奪う行動については人としての道を外れていると感じます。冷酷で残酷です。
自分の子供が4歳と一歳ですが佳代子さまの心情を考えるだけで胸に突き刺さる悲しみと怒りを感じます。
全く理解できません。
お腹の中に宿して命がけで出産した我が子は何より愛おしく大切な生きがいです。
子供に環境を選択する事は出来ませんから親や大人の判断や選択は人格や生き方を変える程に重要です。
非常に考えさせられる記事でした。