様々なモノマネ芸を持つお笑いタレント、小堺一機。
そんな彼の人生は世間にはあまりよく知られていません。
なので今回はそんな知られざる小堺一機の現在について紹介したいと思います。
プロフィール
生年月日 1956年1月3日
出身地 千葉県市川市
血液型 A型
身長 165 cm
学歴 専修大学経営学部卒
相方 関根勤
事務所 浅井企画
活動時期 1977年 –
配偶者 既婚
親族 小堺翔太(長男)
娘(2人)
職業 お笑いタレント、コメディアン、司会者、俳優
小堺は寿司職人の父のもとに生を受けました。
父親は南極地域観測隊にも同行したほど腕のある寿司職人であり、それは民間人では初めてとのことです。
小学2年生の時に父親の都合で市川市から浅草へ引っ越し、ここで子供時代を過ごしました。
小堺は東京へ引っ越すとすぐにNHKの児童合唱団に入り、歌番組にユニットを組んで出演していたほどでした。
しかし番組の改編により自身だけこのユニットから降板させられ、小堺の心に大きな闇を抱えます。
小堺はこの闇を埋めるかのように映画にハマり、また小学生ながらストリップ劇場に足を運んだりしていました。
その後、小4のときに文京区、小5のときに新宿区へ引っ越しましたが、映画への熱は冷めることはなかったです。
そのこともあってか、小堺は映画デザイナーを志すようになり、デザイン界の名門と言われた東京都立工芸高校へ進学して映画製作会社への入社という人生を描いていました。
しかし健康診断で色弱と診断され、小堺は涙ながらにこの道を断念せざるを得ませんでした。
結局、小堺は高卒で就職するために市谷商業高校へ進学しますが、高3のときに大学で演劇をやってみたいとふと思い、進学を決意します。
しかし商業高校からの大学進学は難しく、小堺は研数学館での浪人生活を経て、専修大学に進学しました。
小堺は専修大学にて学生生活を満喫していましたが、幼馴染からTBSの「ぎんざNOW!」への挑戦を薦められます。
小堺は先述したNHKの件から「もうテレビはこりごり」と言って断りましたが、幼馴染が出場のはがきを勝手に出したためオーディションに参加することになりました。
小堺はぎんざNOW!を勝ち抜き、素人コメディアンのチャンピオンになりました。
それを機に芸能界入りを決意し、大学卒業後に勝アカデミーに入校して芸能界のいろはを学びます。
卒業後に浅井企画と契約し、長年の親友の関根勤と「コサキン」というコンビを結成しました。
ふたりは舞台に立って練習を重ねつつ、萩本欽一に見いだされて、テレビでも修行を積み重ねていきます。
テレビ朝日の「欽ちゃんのどこまでやるの?」で二人は「クロ子とグレ子」にてたちまち人気を博し、同期の中では群を抜くものとなりました。
そして1981年、二人はTBSラジオ「夜はともだち コサラビ絶好調!」にて念願のパーソナリティを務めました。
がん闘病中!?
2004年7月、小堺は首の腫瘍を取るために芸能活動を一時休止しました。
手術は成功しましたが、腫瘍の一部にガン化した細胞があることが見つかり、後にガンを患っていたことを明らかにしました。
入院中は小堺がやっていた仕事は全て相方の関根が代行し、穴を空けまいと努力していました。
小堺は相方の頑張りを見るために入院中は毎日テレビを見て、相方を応援するとともに、今まで出演するばかりで客観的に見られていなかったテレビを改めて見つめなおしました。
小堺の回復能力の高さもあってか、8月には退院を果たし、すぐにテレビ復帰をしました。
また小堺はこれを機になかなかやめられなかったタバコをやめることを決意し、現在は禁煙に成功したとのことです。
現在の姿
その後、小堺は1984年にフジテレビの「ライオンのいただきます」の司会に抜擢され、一躍お昼の顔に躍り出ました。
あまりの抜擢っぷりに本人は不安になり、放送が開始するまでドッキリだと思って過ごしていたとのことです。
また、小堺を抜擢したプロデューサーの横沢彪は番組が始まってからは度々小堺を脅す発言をしており、まだ若かった小堺は番組の収録の際にはいつも肝を冷やしておりました。
そんな小堺ですが、不思議な事に現在ではあまりテレビで見かけることはなく、週刊文春がそのことについて特集を組むほどです。
文春によると「小堺はイジリ役こそが本領という自負があり、それ故相方の関根と比べてあまりバラエティで見かけないのではないか」とのことです。
しかし小堺はバラエティだけでなく、ドラマや舞台など幅広く活躍しており、バラエティでなくとも活躍はこれからも続いていくでしょう。
いかがでしたか?
小堺は子供時代、NHKの児童合唱団に入って番組にも出ていたことは少し意外でしたね。
幼馴染に勝手にオーディションに応募されたという話はジャニーズだとよく聞きますが、まさかお笑いタレントでもあるとは思いませんでした。
がんを患うなど様々な苦難がありましたが、小堺には苦難にも負けずいつまでも元気に活躍を続けてほしいです。