松島トモ子さんと言えば、ライオンに襲われ、一時ワイドショーなどを騒がせたことがある女優さんとして記憶にある人も多いかもしれません。

松島さんは子役としてデビューし、その可愛らしさからとても人気となった大女優です。

昔は今のようにたくさんの子役がいなかったため、人気も絶大だったようです。

そんな松島トモ子さんの現在はどうなっているのでしょう。

プロフィール

名前:松島 トモ子(まつしま ともこ)

本名:松島 奉子(まつしまともこ)

生年月日:1945年7月10日

職業:歌手、女優、タレント、日本芸術専門学校特別講師

出身地:満州国奉天生まれ、東京都目黒区育ち

最終学歴:大東学園高等学校卒業

松島トモ子さんは満州で生まれ、その後、戦後の引き揚げで日本に戻ります。

父親は戦中にシベリアに抑留され、亡くなったそうです。

日本に戻ってから、3歳で石井漠舞踊研究所に入門し、バレエを始めました。

映画館で流れる劇場ニュースの話題として研究所の子ども達が取り上げられた際、その映像を見た阪東妻三郎さんが松島さんをがスカウトしました。

1949年に芸能界デビューし、数々の映画に出演します。

中でも江利チエミさんと共演した「サザエさん」でワカメ役を演じ、その可愛らしさで大ブレイクしました。

また1953年には歌手としてもデビューします。

映画の主題歌や挿入歌など多くの歌を歌っています。

さらにはモデルとしても活躍し、少女雑誌「少女」では10年間表紙を務め、芸能週刊誌「平凡」ではグラビアモデルとしても活躍しました。

高校を卒業した後はミュージカルの勉強のために渡米し、2年の留学を経て帰国。

帰国後はミュージカルの舞台活動をメインに活躍しながら、ラジオ、テレビのパーソナリティ、「ひょっこりひょうたん島」の声優を務めるなど、精力的に芸能活動をします。

ライオン事件

松島さんといえば、やはり気になるのが「ライオンに噛まれた」というあの事件。

当時はいろいろなワイドショーを騒がせました。

1986年「TIME21」という番組の取材で、松島さんはケニアのナイロビを訪れます。

取材の内容は、ライオンの記録を書いた有名なノンフィクションの作品「野生のエルサ」の著者ジョイ・アダムソンの夫である、ジョージ・アダムソンに会い、その生活をリポートするというものでした。

ジョージさんはナイロビの国際動物保護区で保護や飼育されたライオンを野生に戻すという仕事をしていました。

その中で、松島さんもスタッフと一緒に、ジョージさんのライオンの餌やりに同行。

ライオンはエルサの子孫で人慣れしていた7頭の群れでした。

そしてあの事件が起こります。

松島さんは子ライオンと戯れていたのですが、ジョージさんがキャンプの無線の応対でその場を離れた隙に、一頭のライオンが松島さんを襲ったのです。

それは子ライオンの母親ライオンで、襲ったのはその一頭だけでした。

ジョージさんに助けられた松島さんですが、ライオンに襲われ首や太腿に全治10日の怪我を負ってしまいました

しかし、10日後、松島さんは取材を再開します。

通常であればそのまま帰国になってもおかしくありませんが、プロ魂だったのでしょうか。

次の取材では保護区で飼育されているヒョウを見に行きます。

施設は高い柵で囲われていましたが、松島さんが施設を出たところでヒョウが柵を越え、松島さんに襲い掛かりました。

ヒョウは松島さんの首に噛みつき、体ごと持ち上げられてしまったそうです。

この時、松島さんは「首の骨がガリガリとかじられる音が聞こえ、死んだと思った」そうです。

翌朝、ようやく救急ヘリが到着し、病院に運ばれた松島さん。

第四頚椎粉砕骨折という診断でしたが、あと1ミリ噛む位置がずれていたら噛み殺されていたというほどの重傷でした。

この第四頚椎粉砕骨折は、後遺症もなく生きていられるのは奇跡だそうです。

常人では考えられない運の良さを持っているのかもしれませんね。

今現在何してる?

松島さんは、現在は芸能活動よりも、慈善活動に力を入れているようです

松島さんは、デビュー直後から母親がマネージメントの全てを行い、二人三脚で芸能活動をしてきたそうです。

ところがその母親が認知症になってしまい、松島さんは介護生活を送るようになりました。

しかし介護の最中に、松島さん自身が介護うつを発症し、「心中を考えたこともあった」というほど、辛い日々を送った体験をしたそうです。

また介護中には恩人である永六輔さんが亡くなるという出来事もあり、松島さんには本当に心身ともにつらい日々だったようです。

今はその困難を乗り越え、自身の体験をもとに介護についての講演などを精力的に行っているようです。

美少女女優として大人気だった松島さん。

ライオンとヒョウに襲われるなど、さまざまな経験をして、今も他分野に渡りいろいろな活動をしているようです。

これからもお元気でいてほしいですね。