プロフィール

アン・ルイスさんをご存知でしょうか。

アン・ルイスさんは、70年代から90年代に活躍した兵庫県神戸市出身の元歌手です。

その楽曲は多くのアーティストにカバーされています。

出生名:Ann Linda Lewis

アン・リンダ・ルイス

生年月日:1956年6月5日

出身地:兵庫県神戸市

ジャンル:ロック、J-POP

職業:歌手

活動期間:1971年 -1999年

2005年 – 2013年

レーベル:ソニー・ミュージックエンタテインメント

ビクターエンタテインメント

アメリカ人(アメリカ海軍の軍人)父親と日本人の母親とのハーフです。

兵庫県神戸市に生まれ、横浜市中区本牧に在った米海軍の住宅街ベイサイドコートで育ちました。

1970年、14歳のとき、横浜外国人墓地を散歩中、なかにし礼さんにスカウトされ、「なかにし礼商会」第一号タレントになりました。

1971年2月25日に、ビクターレコードよりシングル「白い週末」でデビューします。

当初はグラビアアイドルやアイドル歌謡を中心に活動する中、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒットし、その後、ロック(歌謡ロックと言われる場合もある)に転向し1970年代後半から1980年代にかけて「ラ・セゾン」や「六本木心中」「あゝ無情」などの曲をヒットさせます。

かつての所属事務所は渡辺プロダクションでした(ザ・タイガース時代より沢田研二の熱烈なファンだったことも遠因しているとも言われています。)。

ファッションにこだわりを持ち、自身でステージ衣装のデザインを手がけることもしばしばある。

キャンディーズの「やさしい悪魔」のステージ衣装のデザインも手がけました。

記者会見で自らパニック障害であることを打ち明け、しばらく父親の母国アメリカに在住していました。

2005年11月23日にセルフカバーアルバム『REBIRTH』を発売と同時に音楽活動を再開し、その後はファッションやペットグッズなどのデザイン、プロデュースも手がけています。

2013年4月6日、元夫の桑名正博と息子の美勇士で親子3人共演CDを同年10月に発売すると同時に、これをもって完全にアン・ルイスさんが芸能界から引退することが発表されました。

お金事情は?

アンルイスさんのお金事情を調べましたが、情報を得ることができませんでした。

とても売れっ子だったアンルイスさんだったのでお金にはお困りではなかったと思われます。

また、今は芸能界を引退しておられますが、カラオケ印税なども受け取っているのではないかと思います。

元夫との関係

歌手として頂点を極めたアン・ルイスさんですが、大ヒット連発の裏で私生活では1984年に離婚されました。

夫は、「セクシャルバイトレットNo.1」で人気を博した桑名正博さんでした。

1980年に結婚し、翌1981年5月に、長男・美勇士(みゅうじ)さんを出産すると、育児に専念するため音楽活動を休止します。

幸せそうに見えたこの結婚ですが、実は順調ではありませんでした。

離婚理由の1つとしていわれているのは、桑名正博さんの実家側、特に姑との確執があったそうです。

そして、桑名正博さん自身の酒癖の悪さでした。

実家が資産家だった桑名正博さんは、大事な跡取り息子でした。

姑は、そんな大事な息子と結婚したアン・ルイスさんを、「満足に子育てもできない夜遊び好きの女」として見ていたそうです。

アン・ルイスさんも、「あの人たちの顔を見るのも嫌」「息が詰まりそうになる」と感じていたそうです。

また、桑名正博さんの酒癖の悪さは有名で、酒を飲むと暴れていたそうです。

そして、1981年9月、19歳の女性への強制わいせつ致傷容疑で逮捕されました。

女性側との示談が成立して不起訴処分にはなりましたが、同年12月25日には、大麻パーティを開き、再び取り調べを受けるという反省のなさは、十分な離婚事由になります。

こうした状況に嫌気がさしたアン・ルイスさんは、桑名正博さんと別居状態になります。

しかし、この別居中にも、桑名正博さんと別の女性との間に男の子が生まれていました。

そして1984年、アン・ルイスさんが長男・美勇士さんの親権を得て、離婚が成立しました。

そしてアンルイスさん自身が離婚から約10年後にあたる1995年にパニック障害を患ったことで暫く母国へ帰り、テレビの露出を激減させてしまわれました。

さらに、パニック障害である事を公表したアンさんですが、歌を歌うことさえ難しい状態になってしまいアメリカに自宅を移し療養をしていた為、メディアへの露出が無くなりファンからは悲しむ声が多く上がったようです。

そして、元夫の「桑名正博」さんについては、2012年に他界されているようです。

現在の姿

現在は一人息子である美勇士さんに会いに数年に1度日本に来ているそうですが、生活の拠点はアメリカのままだそうです。

パニック障害を患ってからの生活拠点はロサンゼルスで、日本へは友人や息子さんに会うために来ているのだそうです。

考えてみると、20代、30代には休む暇がないほど多忙な日々を過ごし、病を患ったことでようやく静かな日常生活が送れるようになったのかもしれません。

今で言う所の、ブラック企業に努めているようなものでしょうか。

生活の拠点をアメリカにしているということは、余程、日本で辛い目にあったのではないかと想像がつきます。

それでも、やはり息子さんにはお会いになりたいようで、4年に一度くらいは来日されているようです。