元AKBのメンバーとして活動していた仲川遥香さん。

グループ卒業後、ソロとして活動を開始されていますね。

気になる現在についてや、また父親との衝撃の関係に迫ってみました。

プロフィール

名前:仲川遥香(本名:中川遥香)

愛称:はるごん、ごん、はるさん。

生年月日:1992年2月10日

血液型:O型

出身地:東京都

【経歴】

2006年12月に開催された「第三期AKB48追加メンバー」に合格。

渡辺麻友さんや、柏木由紀さんらと同期メンバーになります。

その後「AKB48 1st ANNIVERSARY LIVE 〜勢ぞろいだぜ!「A」「K」「B」!〜』において、AKB48旧チームBの候補生として初の顔見せを行っています。

翌年2007年7月に「青春ガールズ」初日公演にて旧チームBの一員としてデビュー。

同年の9月に、AKB初の日本国外公演ライブ「中日文化人懇談会2007〜オープンカレッジ in 北京〜」に参加し、6曲を披露されています。

2008年からは渡辺麻友さんらと渡り廊下走り隊7を結成し、並行活動を開始。

翌年の2009年には渡り廊下走り隊7でメジャデビューを果たし、2010年にはAKB加入後4年目にして初のシングル選抜入りを果たします。

以後、メディア選抜入り及びアンダーガールズ選抜入りを果たすなど、順調に活動の幅を広げておられましたが、2012年2月に声帯手術の為、一時活動を休止。

同年3月に活動を再開し、8月にJKT48への移籍が発表されます。

12月にJKT48の劇場デビューを果たし、以後、JKT48の活動に専念する為、AKBメンバーの選抜などには不参加という形をとられました。

大ヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」のインドネシア版でセンターを務め、多数のテレビに出演し、国民的アイドルの一員となります。

2015年にはJKT48のチームTのリーダーに任命されますが、翌年の2016年にAKB48とJKT48から卒業し、所属事務所を退社されています。

父親との関係

仲川遥香さんといえば父親!というくらい、父親についての検索が多い方ですね。

仲川遥香さんは、元々ご家族のことについては余り語っておられませんでした。

それが、2016年以降から徐々に家族についての発言が増えていきます。

そして父親について「元プロレスラー」と発言したことで、仲川遥香さんのパパ探しが始まります。

姓が中川ということで「中川浩二」さんが父親との記事や説がでたりと当時話題になりましたが、中川浩二さんの父親説は事実ではなく、ただの噂でしかなかったようですね。

実際は、元プロレスラーではなく「元プロレス練習生」であり名前は「昇吾さん」だそうですが、プロレスラーデビューに至っておらず、現在職については不明だそうです。

プロレスラーファンからすれば、それはプロレスラーとは言わないぞ!と厳しい言葉が飛びそうですが、仲川遥香さんにとっては、父親は大好きな存在であり自慢のパパのようです。

それがわかるのが、下記のご自身のTwitter。

2019年のTweetですが、この年令の女性が、この様に堂々と発言されているのは珍しいですね。

それだけ、父親を大事にしており、愛されているのが分かりますね。

仲川遥香さんのご家族は5人兄弟姉妹で、ご両親が2人ですが、3歳の頃に離婚されており、一時児童施設などで育ったこともあるなど、少し複雑なご家庭です。

また28歳という若さでお姉さんが亡くなるなど、かなり寂しいご経験をされてこられたと思います。

だからこそ、今までご家族のことには触れてなかったのかもしれませんが、仲川遥香さんのなかで何か変化があったからこそ、少しずつご家族のことを話されるようになってきたのかもしれませんね。

特に、父親との関係は深いものなのかもしれません。

現在

国民的アイドルの一員として人気を把握していた仲川遥香さん。

2016年にAKB及びJKTから卒業されソロとなられていますが、今もインドネシアに在住されています。

グループ卒業後も日本には帰国せず、そのままインドネシアで活動を続けられていました。

日本人では初の「世界で最も影響力のあるツイッターアカウント」7位に選ばれるなど、インドネシアを拠点に活動を展開されています。

気になる現在については、年収1億円!?を獲得するほどインドネシアで国民的アイドルになられています。

元々のルックスに備え、たった5ヶ月でインドネシア語をマスターする努力家。

更に、外国という異国の地ですら、恐れず果敢にアドリブに挑戦されていたからこそ成功を収められたといえますね!

2018年からはインドネシア親善大使にも任命されており、インドネシアと日本の架け橋的な存在にもなってくださっています。