女性学者で参議院議員としても活躍をした人物、田嶋陽子。

そんな彼女ですが、ここに至るまでには一言では語れない様々な出来事がありました。

今回はそんな彼女の人生の軌跡について取り上げてみたいと思います。

プロフィール

生年月日 194146

出生地 岡山県浅口郡鴨方町

出身校 津田塾大学大学院

前職 法政大学教授

所属政党 社会民主党→無所属

田嶋は1941年岡山県にて生を受けました。

幼少期は父が徴兵されたため日本各地を転々として居候生活を送っていましたが、終戦後は沼津市に落ち着きます。

しかし当時の風潮もあってか食事の時に自分と母親のお膳には魚料理がないという差別を受けることがあり、幼少期の田嶋の心に深い傷を負いました。

それによって田嶋は「将来は自分で稼げるようになりたい」と考えるようになり、そのために医者を目指して勉強に励んでいました。

その夢は高校時代になっても変わりませんでしたが、親の猛反発を受け断念しました。

それにより田嶋はやさぐれて学校をサボって図書館に籠るようになり、そこでロシア文学や英文学を読み漁るようになったのです。

そのことがきっかけで田嶋は小説をもっと深く知りたいようになり、そのために文学を学べる大学への進学を希望するようになりました。そして18歳の春に女子大の名門、津田塾大学に合格し、田嶋は東京にて一人暮らしをするようになりました。

その後田嶋は東京での学生生活を満喫し、津田塾大学学芸学部を卒業した後は英文学についてもっと学ぶために大学院に進学しました。

あまりに津田塾大学が田嶋に合っていたのか博士課程を修了した後も津田塾大学の講師として働いており、田嶋も将来は研究者になろうかなと漠然と考えていました。

そんな田嶋の転機となったのが奨学生に選ばれた事であり、イギリスに語学留学しました。

そこで田嶋はベルギー貴族から猛アプローチを受け、二人は交際を始めます。

帰国も間近に迫ったある日、ベルギー貴族は田嶋に対してプロポーズをしました。

田嶋はこれを受けるかどうか非常に悩みましたが、社交界にて見た貴族の妻たちの「悲しげで浮かない表情」を見て意思を固め、ベルギー貴族と別れて日本へ帰りました。

その後1974年、田嶋は法政大学の助教授に昇進しました。

その二年後には教授に登りつめ、学者として一角の地位を築き上げる事に成功しました。

1980年、田嶋は再び渡英を果たし、そこでロンドン大学に留学します。

帰国後、田嶋はバティック・アーティストのクリス氏と出会い、そこで遅咲きの燃えるような恋をしました。

しかし田嶋が46歳の時、田嶋は自身の恋愛関係が自分が最も忌み嫌っていた母娘関係の投影に過ぎないことに気づきます。

それを悟って田嶋はクリス氏と別れ、以来結婚せずに自分らしく生きることを目指しました。

沼津にいる?

田嶋の実質的な故郷は沼津市にありますが、大学進学後は活動拠点を東京に置いていたこともあってか東京に住んでいました。

田嶋は法政大学の教授に承認した年に立川に家を購入しており、本人も大層気に入っていました。

しかし田嶋は同時に引っ越すことも好きであり、その後も国分寺、四谷、銀座と自身の活動拠点が変わるごとに引っ越しを繰り返してきました。

また田嶋はクリス氏と別れた後軽井沢に仕事用の小屋を建設しており、参勤交代のごとく東京と軽井沢を行ったり来たりするようになりました。

そして2021年に田嶋は軽井沢に別の家を建築し、完全に地方移住をしました。

現在は軽井沢にて楽隠居に近い生活を送っており、悠々自適とのことです。

現在

田嶋は1990年、フジテレビ「笑っていいとも」に出演するようになり、歯に衣着せぬ発言が衝撃を与え、たちまちレギュラーに抜擢されました。

その代償として田嶋に対しては世間から様々なバッシングを受け、一時期精神的に病みかけたこともあったとのことです。

しかし田嶋は「学者が書籍をチマチマと出版するより、バッシングされてもテレビで発信をした方が主張が伝わる」とテレビ出演をめげずに続け、一角の論者として名を馳せました。

やがて田嶋は社民党にスカウトされ、2001年の参議院選挙で全国比例にて出馬し、見事当選を果たしました。

しかし社民党の政党運営などが田嶋が思った以上に男性支配的であり、田嶋は苛立ちを強めていきました。

その後北朝鮮の日本人拉致問題などに対する社民党の太陽に不満を抱いた田嶋は社民党を離党し、翌年には神奈川県知事選に出馬するという名目で国会を去りました。

現在も第一線からは引いたものの、引き続き講演活動や評論活動を行っています。

いかがでしたか?

田嶋が子供時代は医者を目指していたことは少し意外でしたね。

田嶋のようなかなり自立したように見える女性ですら、46歳まで親の束縛に悩まされていたあたり、この時代の親の影響力の強さが窺えます。

田嶋は92歳まで生きると意気込んでいるとのことですので、ぜひ実現させてほしいです。