バラエティー番組『進ぬ!電波少年』の大人気企画『電波少年的懸賞生活』のチャレンジャーとなり、世間の注目を集めた芸人のなすびさん

現在、ネットでは黒い噂が流れているようですが、今は何をしているのでしょうか?

プロフィール

名前:なすび

本名:浜津 智明(はまつ ともあき)

生年月日:1975年8月3日(42歳)

出生地:福島県福島市

事務所:オフィスケイ

芸名は、子どもの頃からいじられることの多かった茄子のような長い顔に由来して付けられているようです。

他の家族の方は普通の大きさの顔だったため、事実かどうかは分かりませんが、一時期両親とは血が繋がってないのかと疑っていたこともあったそうです。

昔は『覇王樹(さぼてん)』というお笑いコンビを組んでいたこともあり、その頃は本名で活動していたそうです。

まったく聞き覚えがないあたりからも、売れていなかったことがわかりますね。

元々はワタナベエンターテインメントに所属していた時期もあったようです。

1998年から放送された『進ぬ!電波少年』での『電波少年的懸賞生活』企画への出演がきっかけとなり世間からの注目を集めるようになりました。

この企画が終了した直後には大人気芸人と呼ばれるまでになっており、様々なテレビ局から引っ張りだこ状態だったそうです。

しかし、『懸賞生活』への出演がなすびさんの注目度を上げるきっかけになったのですが、なすびさんに対する世間のそのイメージが強すぎたこともあって、実際のなすびさんのキャラとの間に大きな差が生まれてしまい、その後の人気は続かなかったようです。

その後は、出身地である福島に戻り、冠番組を持つローカルタレントとして活動しています。

また、憧れの存在だった渥美清さんを目指し、念願だった喜劇俳優としての活動も本格化させます。

2002年には劇団「なす我儘(がまま)」を立ち上げ、座長も務めていたようです。

2005年には、ドラマ『電車男』への出演を果たしており、以降、テレビドラマ等で俳優としても活躍していたようです。

懸賞生活の実態

そんななすびさんですが、なすびさんが注目を集めるきっかけとなったのは、なんと言ってもバラエティ番組『進ぬ!電波少年』での企画『電波少年的懸賞生活』への出演ですよね。

当時、大学4年生だったなすびさんも、企画開始前に行われた『運だけが頼りの企画オーディション』を受け、他の参加者をはねのけて当たりくじを引き当てたそうです。

それで、企画への起用が決まったなすびさん。

見方にもよるとは思いますが、まさに強運の持ち主ですよね。

企画は1998年~1999年までの約1年3ヶ月もの間行われました。

企画スタート後、なすびさんは周りとの一切の連絡を絶たれ、アパートの一室に監禁でもされているような状態で約1年3ヶ月もの間過ごしていたそうです。ルールは『懸賞で当たったもののみで生活をする』だったので、非常食の乾パンなど、最低限のものしかない状態から懸賞生活は始まったのです。

もちろん、衣服も与えられなかったので、しばらくは裸での生活が続きました。

日本と韓国に舞台を分けた2シーズン分が収録され、日本では100万円、韓国では日本に帰るための飛行機代81万6000ウォン分の懸賞品を当てるまで懸賞生活は続きました。

なすびさん本人は自分の生活が全国に放送されていることはその当時知らされていなかったようで、ひたすら懸賞品を当てるためにはがきを書きながら、自分でビデオ撮影をしたり、1日の終わりには必ず日記を書いたりしながら過ごしていたようです。

そんな訳で、いつの間にか有名人になっていたなすびさん。

懸賞生活の日々を綴った書籍『懸賞日記』が発売されるとベストセラーになり、『世界で最も長く懸賞生活を続けた人』としてギネスブックにも掲載されるなど、一躍時の人となったのでした。

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