最初に結論!野々村竜太郎さんは現在、実家で両親とひっそり暮らしているようです。
野々村竜太郎氏と言えば、政務調査費のお金を不正に受け取ったことが発覚し釈明会見を行いました。
その会見では支離滅裂な事を言ったり、いきなり号泣したりとかなり子供みたいな残念な印象を全国に与えてしまった彼です。
完全に全国からの笑い物になった彼ですが、現在は一体どのような事になっているのでしょうか。
家族とのその後は?
なんとハゲ画像も新たに流出!
プロフィール
氏名:野々村竜太郎
生年月日:1966年7月29日
出身地:大阪府大阪市
学歴:関西大学法学部卒
経歴:
野々村氏は大阪府大阪市産まれで、高校までは地元で過ごしていたようです。
その後関西大学を卒業後は川西市市役所に15年間勤務しています。
市役所勤めも15年が経った頃、高校時代の後輩でもあった橋本徹氏が大阪府知事選挙に当選。
それに触発されて、自身も政治の世界に足を踏み入れる事を決意するものの、選挙戦4連敗という結果に。
あまり自己資金の無かった事から苦しい生活を続けていた野々村氏でしたが、2011年に兵庫県議員選挙の西宮市選挙区で最下位ながらもなんとか当選を果たします。
しかしこの選挙も各党の候補者調整が難航した事や、所属団体の票割りに失敗したことが大きく、野々村氏はいわゆる棚から牡丹餅という結果が正しいと言われています。
また、このころは橋本知事率いる「維新の会」が関西地区でかなりの勢いがありました。
選挙では似た名称を使うことに規制が無いために、「○○維新の会」と名付けても何の罰則も無かったため、野々村氏は「西宮維新の会」と名乗っていた事で、橋本知事の「維新の会」とあたかも関わりがあるかのような選挙戦を繰り広げていたともいわれています。
議員になった後の野々村氏は無所属を貫き、その独自性が売りで活動を続けていたようです。
しかしながら、やはり無所属では議会の中でも弱い存在には変わらず、西宮市議員6名の中でも野々村氏だけが浮いた存在になっていたようで、本人もかなり苦しめられた模様。
委員会のポストを巡って争った議員に対し「この恨みは一生忘れない」というメールを送るほどだったといいます。
プライベートでは50歳手前でありましたが、独身。
しかし、結婚願望はあったらしく、自身のSNSには、結婚や子供が欲しいといった胸を語っていました。
また、何回かお見合いも行うも玉砕だったそう。
また、野々村氏は結構なマザコンだとの噂も。母親の溺愛ぶりも相当だったといいます。
そんな野々村氏ですが、ついにあの事件が発覚。
城崎温泉などに日帰り出張を年に200回近く行い、領収書を添付しないまま、政務調査費をおよそ300万円受けとっていたのです。
会見ではその子供のような馬鹿っぷりがさく裂。
記者が移動ルートを質問するも「全く覚えていない」と回答。
年に200回近く日帰りしてそんなことあるでしょうか。
また、質問が聞き取れないと何回も聞き返すなど、終始支離滅裂でした。
また、自動発券機からは領収書が出ないものと思っていたという世間知らずな回答も。
極め付けとなったのは、会見中のまさかの号泣。
泣きたいのはこんな男に血税が数百万も流れていった国民の私たちなんですがね。
そんな野々村氏、その後はどうなっているのでしょうか。
家族との関係は?
先ほども紹介したとおり、野々村氏には妻や子はおりません。
家族構成としては、父、母と兄弟が何人かいるようです。
事件以降家族はどうなってしまったかというと、野々村氏は潔く議員を辞職し、実家へ戻ったといいます。
しかし、当然取材陣も実家への突撃取材が多く、当分の間はひっそりと生活を余儀なくされました。
その他脅迫のメールや電話も後を絶たなかったみたいで、2016年7月6日にこの事件の裁判の判決が出た後に、報道関係者各位という題で、取材を断るという声明までだしていました。
実は野々村氏の父親は病気がちで母親も80歳を超えているといいます。
ご両親からしたら辛い毎日でしょう。
あの会見で一気に全国を敵に回してしまった野々村氏でしたが、その後の批判等はちょっと心中を察してしまいます。
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