昭和の映画女優といえるほど、数多くの映画に出演していた岡田茉莉子さん。

現在も活躍されていますが、現在と若い頃が別人と話題になっていますね。

一体どれ程別人なのか画像で検証してみました。

プロフィール

名前:岡田茉莉子(吉田鞠子)

生年月日:1933年1月11日

血液型:A型

出身地:東京市渋谷区

【経歴】

生まれてまもなく、父親が結核で他界。

当時、父の顔も仕事も何もしらない状態で、母親との暮らしが始まります。

女手一つで育てられた岡田茉莉子さんは、高校時代に演劇部に入部。

当時、新潟で学生生活を送り、その際、演劇部の友人と映画館に「瀧の白糸」を鑑賞しに行きます。

帰宅後、その話を母親にされたところ号泣。

その時、初めて映画の主演をしていた「岡田時彦」さんが、幼き頃になくなった父だと知る事になります。

父は二枚目俳優。

母は宝塚卒業生。

叔母は宝塚スター。

自身も演劇部に参加するなど、運命に導かれたかのように、芸への道へと進んでいかれました。

そんな岡田茉莉子さんが、銀幕デビューするきっかけになったのが、叔母の夫である東宝映画計画部のプロデューサー山本紫朗さんのすすめにより「東宝ニューフェイス」の第3期として東宝演技研究所に入所したことでした。

入所後わずか20日という短期間で「成瀬巳喜男」監督の映画「舞姫」に準主役で抜擢。

以降、父親譲りの美貌と演技力で東宝映画界の銀幕スター女優として活躍していきます。

1957年に、フリーとなってからは、松竹と専属契約を結びます。

以降、銀幕女優としてのイメージが強かった岡田茉莉子さんですが、テレビドラマへと場所を変え、松竹の看板女優として活躍します。

【代表作品】

1951年 舞姫(デビュー作品)

1953年 夫婦

1953年 坊ちゃん

1954年 さらばラバウル

1955年 青い果実

1958年 悪女季節(女優助演賞受賞作品)

1962年 今年の恋

1962年 秋津温泉

1970年 エロス×虐殺

1979年 金田一耕助の冒険

若い頃

岡田茉莉子さんといえば、現在88歳(2021年4月現在)。

昭和の銀幕スターですから、年齢を重ねられているのも想像がつきますが、それでも数字にすると驚いてしまいますね。

失礼は承知ですが、88歳といえば、やはり「おばあちゃん」というイメージが先行してしまいます。

ただ、岡田茉莉子さんの場合は違います!

未だに母親役をされているだけあって、一般的なイメージのおばあちゃんとは異なるんですね。

そちらについては、下記の「現在」で触れていますので割愛しますが、昭和のスターである岡田茉莉子さんが、この令和の時代になっても、その美しさで話題になっているんです。

その内容が「若い頃が美しすぎる」というものなんですね。

現在も十分美しいとは思うのですが、当時の岡田茉莉子さんの美貌は比じゃありません!

一体どれほど美しいのか!?

こちらの画像をご覧ください。

オードリーヘップバーン!?

と、見間違ってしまう程美しいですよね!

下記に関しては、まるで絵画のような美しさなんです!

同じ人間とは思えない美しさですが…話題になるのも納得ですよね。

現在

若すぎる頃が、絵画から飛び出てきたような美ししさだった岡田茉莉子さん。

気になる現在がこちらです。

徹子の部屋に出演なさった時のお写真となりますが、88歳とは思えない美しさですね。

若い頃に比べると、年齢を重ねられた女性にはなっていますが、それでも十分美しいと思います。

こんな素敵な80代見た事ありますか!?

年齢を重ねてからも、岡田茉莉子さんのように、いつまでも美しくいられるのは素敵ですね。

80代になった現在でも、女優としても活躍されるなど、見た目だけではなく体力も衰えしらずな岡田茉莉子さん。

余り知られていないかもしれませんが、実は映画プロデューサーとしても活動されているんですよ。

その第一弾となるのが、ご自身の映画100本記念作として自らプロデュースした「秋津温泉」なんです。

こちらの映画、大ヒットを記録し、数々の映画賞を獲得した作品でもあります。

ちなみに、その当時1962年だったのですが、その時に起用した監督が、現在夫である吉田喜重さんなんですね。

その翌年に婚約もされているんですよ。

当時、引退を考えていた岡田茉莉子さんを説得したのも吉田喜重さんとの事ですから、とても大切な存在だった事がわかりますね。

その後、一緒に設立された映画会社では、出演や映画プロデューサーをされており、公私ともに支えあっておられる素敵なご夫婦です。