演歌・歌謡曲歌手の島倉千代子さん。
もう亡くなってますが、今でも皆さんの記憶には残ってますよね。
そんな島倉千代子さんですが、細木数子さんの「持ち逃げ」騒動とは?
今回は、島倉千代子さんのプロフィール、そして現在の様子、さらに細木数子さんとの「持ち逃げ」騒動の真相についてご紹介しましょう。
プロフィール
まずは、島倉千代子さんのプロフィールからご紹介しましょう。
・本名:島倉千代子(しまくらちよこ)
・生誕:1938年3月30日
・死没:2013年11月8日(75歳没)
・学歴:日本音楽高等学校卒業
・ジャンル:演歌・歌謡曲
・活動期間:1954年~2013年
・レーベル:日本コロムビア
品川区北品川に警察官の父親と母親の二男四女の四女として生まれています。
1945年、長野県松本市は疎開。
1947年、9歳のときに東京に戻ります。
島倉千代子さんの姉・敏子さんは歌唱力はあったが小児麻痺を患っていたため、歌手になれず、その大好きな姉の為に、自分が歌手になる事を決意したということ。
敏子さんに声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入団。
1949年3月、童謡「お山のお猿」がテイチクレコードから発売。
しかしレコード会社の社員による誤植により「戸倉千代子」名義となったため、デビュー咲くにはなりませんでした。
1953年、15歳の時に日本音楽高等学校へ入学。
歌謡コンクールにも積極的に参加するようになり、1954年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約。
1955年3月、16歳で本名・島倉千代子で歌手デビュー。
デビュー曲「この世の花」は半年後に200万枚達成、人気歌手になります。
1957年には「東京だョおっ母さん」が150万枚のヒット!
映画化もされ、自ら主演も務めています。
1963年、父親が他界し、その悲しみを支えてくれた元阪神タイガースの藤本勝巳さんと結婚。
結婚前に妊娠していますが中絶、結婚後も二子をもうけたが、中絶しています。
1968年、「愛のさざなみ」がヒット!
同年、すれ違いの生活により別居を経て離婚。
1975年には、眼科医に頼まれ実印を貸し、多数の人々の保証人になり、借金は雪だるま式に膨らみ総額16億円という莫大な借金を抱えます。
それでも写真集の発売や全国各地のキャバレー周り、地方振興をしながら7年で完済。
1987年、49歳の時に「人生いろいろ」を発表。
コロッケさんのモノマネにより、若者にも大ヒットしましたね。
その後も歌手として活動を続け、2009年には71歳で歌手生活55周年を迎えています。
2010年、肝臓ガンを発症し、その後肝硬変になり、2013年に東京共済病院で亡くなっています。
多くの人に愛されながらも波瀾万丈の人生だったと思います。
細木数子『持ち逃げ』騒動の真相
島倉千代子さんは生前、莫大な借金がありましたが、その原因が細木数子さんの持ち逃げによるものだったという噂があります。
実は、島倉千代子さんが借金問題に悩まされている時に、これを救ったのが細木数子さんだと言われています。
その当時、まだ4億近くの借金があった島倉さんの後見人になったのが、細木数子さんの内縁の夫だったという事。
借金の取り立てに来るヤクザたちと、細木数子さんの内縁の夫が懇意だったようで、細木さんが島倉さんと債権者たちとの間にたって場を納めたそうです。
その恩を感じ、島倉さんは細木さんの事を「細木のママ」と呼んで、甘えていたという事。
普通に聞くといい話に聞こえますが、実は違うんですね。
借金を肩代わりした細木さんですが、その代わりに島倉さんの興行権を手に入れ、芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立。
そのプロダクションで島倉さんを管理して、働かせていました。
島倉さんは細木さんを信じていたので、借金返済の為に必死に歌手活動を続けたんですね。
しかし、自身が抱えている借金以上の金額はとっくに稼いでいるのに、なかなか借金が返済出来ない。
一説によると、ただ働きのようなことを3年間もしていたと言われています。
もしかして、自分の稼いだお金を細木さんに、ちょっとずつ持ち逃げされているのでは?と疑うのも無理はありません。
実際に、持ち逃げというか、ただ働きさせられていたわけですからね。
数年後、この状況を見かねた島倉さんの知人が助け船を出し、借金の肩代わりをしてもらって、事務所を移籍したことで、この借金問題は終結しています。
そしてこの搾取状態が判明した後は、島倉さんは細木さんについて、何も話さなくなり、関係も切ったという事です。
つまり真相は細木さんの持ち逃げではないですが、搾取っていうことで、非常にタチが悪いですよね。
金銭トラブルがあったのは、間違い無いと思いますが、細木さん側は認めていないという事。
芸能界って怖いですよね。
現在
島倉千代子さんについて書いてきました。
テレビで見かけた島倉千代子さんはとても優しそうで、にこやかな表情が今でも浮かびます。
実際、とても優しい人だったようで、困った人は助けていたようですね。
スタッフの評判は良かったようですし、人望もあったようです。
しかし、悪い人はいるので、そういう人に騙されたということなんでしょう。
たくさん傷ついたからこそ、あんなににこやかな振る舞いが出来たのかもしれませんね。
2021年3月30日で、生誕83年ですが、これからも島倉千代子さんの歌は語り継がれていくでしょうね。
人生いろいろ、本当にそんな人生だったように思います。