イケメン俳優でたちまち人気になった塩谷瞬

しかしその後、冨永愛と園山真希絵の二人と二股交際。

この同時に交際をしていたことが発覚し、涙の謝罪会見でたちまち消え、急死されたとも囁かれています。

そんな彼の現在とは?

プロフィール

塩谷瞬(シオヤ シュン)俳優。

1982年6月7日生まれ、石川県出身。

A型。

15歳の時ゲームセンターで受けたオーディションで7万5000人の中から特別賞に選ばれる。

そのとき出会った大手芸能事務所の人物の助言がきっかけで俳優を目指す。

上京後は、アルバイトをしながら俳優の塩屋俊が主催する、アクターズクリニックで芝居を学ぶ。

その後、関西の文化を学ぶため京都へ移る。

2000年、18歳の時、再び東京に出て芸能事務所を数十カ所まわり、恵比寿で回った最後の事務所のスターダストプロモーションが不合格であったら芸能の道を諦めることを考えていたが、時間外だったため非常階段からのぼり、たまたま残業していた取締役にプロフィールを渡したところ、その日のうちに電話がかかり、翌日面接を受けスターダストプロモーションに所属する。

2002年、テレビ朝日系ドラマ『忍風戦隊ハリケンジャー』の主演でデビュー。

2005年、映画『パッチギ!』の主演に抜擢され、『第29回日本アカデミー賞』で新人俳優賞を受賞。

以降、映画、舞台、ドラマと活躍。

2010年1月1日付けでスターダストプロモーションを離籍。

同2月20日付けで塩谷瞬俳優事務所(株式会社 OFFICE S)を発足。

急死説の真相

2013年に、塩谷瞬さんがネット上で話題になっていました。

そして検索してみると…

なんと”塩谷瞬死去”が真っ先にあがりました。

一体どういうことなのでしょうか。

その真相は…。

まずは、結論から言いますと塩谷瞬さんは亡くなっていません

亡くなったのは塩屋俊(シオヤ トシ)さんという方でした。

急性大動脈解離のため仙台市の病院で急死し、56歳だったそう。

仙台市で上演予定だった舞台『HIKOBAE2013』の楽屋で休憩中に倒れ、病院に搬送されましたがそのまま息を引き取ったという。

塩屋俊さんは、おしんや釣りバカ日誌などで俳優だけでなく、映画監督としても活躍されている方です。

読み方も名前の漢字も違いますが、なんとなく名前の漢字が似ていたため間違えられたようです。

そして、塩屋俊さんが急死だったため、混乱された様子。

さらにこの急死説が囁かれる前年に、二股交際が発覚し涙の会見をした塩谷瞬さん。

そんなことにより、塩谷瞬さんはこの騒動を苦に自殺したのではないのかとも噂されました。

このように様々な偶然や勘違いにより、急死説が出回ってしまったようですね。

現在はどうしてる?

では、現在塩谷瞬さんは一体どうされているのでしょうか。

2012年にモデル・冨永愛さんと料理研究家・園山真希絵さんとの二股交際が発覚し、結局、双方から捨てられる「ダブル破局」を迎えた彼ですが、その後は冒険家やネパール親善大使として活動しているそうです。

ネパールとの関係については、塩谷さんが目を悪くして手術した際、執刀医がネパールを支援する活動をしていたからだそう。

それが縁で、ネパールの映画にも出演し、親善大使にまでなったといいます。

さらに「株式会社OFFICE S」の代表取締役もしていて、こちらは二股騒動よりも前に設立した会社ですが、現在も塩谷瞬俳優事務所として展開しています。

こちらは銀座に事務所を構えているので、相当な家賃も発生していると思いますが、それでもスタッフを雇いながら事務所の運営は順調のようです。

そしてもちろん俳優でも活躍、多数の映画に出演していて、日本だけではなく、韓国のドラマにも出演しています。

子供の頃から行ってきたボランティア活動や、世界を旅しながら俳優活動、さらに音楽活動など幅広く展開中の塩谷瞬さん。

女性関係はルーズだったかもしれませんが、社会的な活動はすごく立派です。

そんな彼の活躍にメディアも、もっとフォーカスしても良いような気がしますが、ボランティア活動などを続けることで、いつかまた注目されるのではないでしょうか。