俳優やアイドルとして、大活躍をしていた滝沢秀明さん。
タッキーの愛称で親しまれ、同じくジャニーズ事務所の今井翼さんとのユニットで人気を博しました。
そんな滝沢秀明さんは、昨年芸能界を引退して裏方に回ると決意。
現在や生い立ちの噂とは…?
プロフィール
滝沢秀明(タキザワ ヒデアキ)元アイドル・元俳優・演出家・実業家。
1982年3月29日生まれ、東京都出身。
A型。
タッキー&翼のメンバーで、愛称は“タッキー”。
2002年、タッキー&翼としてアルバム『Hatachi』でCDデビュー。
2004年、舞台『Dream Boy』で最年少座長を務め、その後も『滝沢演舞城』、『滝沢歌舞伎』などに出演。
2005年、NHK大河ドラマ『義経』で最年少主役を務める。
同年には初のソロコンサートを開催。
2009年、初のソロシングル「愛・革命」をリリース。
2015年、初の海外公演『滝沢歌舞伎 10th Anniversary』をシンガポールで開催した。
2017年9月、タッキー&翼としての活動一時休止を発表。
2018年9月、年内いっぱいで芸能活動引退し、プロデュースする仕事に専念することを発表。
2019年1月、新会社『ジャニーズアイランド』の社長に就任。
生い立ちが実は嘘!?
2018年いっぱいで、芸能活動を引退した滝沢秀明さん。
引退後は裏方でジャニーズ事務所を支えている滝沢秀明さんですが、その生い立ちが壮絶すぎるという話があり、あまりにも現実離れしていて嘘では?!との疑惑も…。
そんな滝沢秀明さんの生い立ちについての真相とは?
滝沢秀明さんの人生は、まず分娩室ではなく病院のベンチから始まったのです。
滝沢秀明さんの母親は、突然の陣痛に急遽病院に向かいましたが間に合わず、結局、病院のベンチで滝沢秀明さんを出産したそうです。
そんなハプニングから幕開けをした滝沢秀明さんの人生、その後はすくすくと育ち、元気に幼少期を過ごしていく、と思いきや…滝沢秀明さんは「父親からまともな愛情を記憶がない」というのです。
滝沢秀明さんと父親はほとんど口も利かない関係だっだようですが、唯一愛情を感じたときがありました。
それは、滝沢秀明さんが幼稚園生のとき、父親が珍しく頼みごとをしてきたそうです。
「荷物を運んで車の荷台に置いてくれ」ということで、実はその日は両親が離婚する日だったそうです。
この時、滝沢秀明さんに父親が頼んだ荷物というのは、おそらく引っ越しのための自分の荷物でしょう。
喜んでいる滝沢秀明さんの気持ちとは裏腹に、せつなすぎますよね。
滝沢秀明さんの父親が愛情を与えなかった理由は、定かではありませんが、すでに離婚することが決まっていたからでしょうか。
そんな両親の離婚をきっかけに、滝沢秀明さんの生活は一変することとなります。
生活費がままならず、まともな生活を送れなくなってしまいます。
それもそのはず、子供は滝沢秀明さんの他に姉が一人、兄が一人いたのです。
育ち盛りの子3人に、教育費もあり、母親は相当苦労していたのでしょう。
今でこそ夫婦共働きは普通ですが、小さい滝沢秀明さんを置いて働くのはなかなか難しかったのでしょう。
鉛筆、消しゴムも買えない。
食べるものがなく、兄弟でお菓子を分け合う日々。
水と小麦粉を混ぜたものに、ケチャップを塗って食べる。
服がなく、冬でもタンクトップに短パンなど、このような壮絶な貧困時代のエピソードがあるようです。
滝沢秀明さんは、このような家庭環境を受けて、「いつから働けるようになるのか」ということばかりを考え始めます。
中学生になると、自力でジャニーズ事務所のオーディションに応募し、合格します。
滝沢秀明さんがジャニーズを目指したきっかけは、仕事で疲れている母親を見て「楽をさせてあげたい」と思ったことからだそうです。
また、滝沢秀明さん本人も、「どこでもいいから、早くこの日々から抜け出したい」という思いがあったといいます。
確かに、嘘のような貧困エピソードですが、その真相はやはり本当だったようです。
この生活を少しでも早く抜け出したいと思いから、ジャニーズに入ったという滝沢秀明さん。
唯一、イケメンだったことが救いですよね。
現在
ジャニーズ事務所は2018年9月13日に、同年いっぱいで滝沢秀明さんの芸能活動からの引退と、ジャニーズ事務所のスタッフとして後輩の育成や指導をする業務に就くと発表されました。
このあまりに突然の出来事で、ファンや芸能関係者の間に大きな衝撃が走りました。
マジでタッキー引退なの?育成やプロデュースなどの裏方にって、世界一カッコいい裏方じゃん! #滝沢秀明引退 #タッキー
— 明後日💙💛楽しい平常心 (@asatteasattte) September 12, 2018
現役アイドルでまだ若く、健康などに問題がある訳でも無いのに表舞台から身を引き、裏方に回って後輩の指導役に回るのはかなり珍しいパターンですよね。
同じ舞台に立ちながらでも、指導や教育は出来るので違和感があるかもしれません。
ただ、ジャニーズの喜多川社長は滝沢秀明さんのリーダー性を見抜いていたらしく、芸能面の講師やスタッフだけでなく、もっと大きな役割もはたすと見込んでいたそうです。
そして、現在は2019年1月15日にジャニーズ事務所が100%の出資をしている株式会社「ジャニーズアイランド」が設立され、当時36歳だった滝沢秀明さんが代表取締役社長に就任しました。
この会社は、ジャニーズ事務所の子会社の色合いが強く、企業経営などよりもジャニーズに所属する若手アイドルの育成や教育に特化した専門会社であると予想されています。
事業内容は、タレント育成及び舞台・コンサート・映像作品プロデュースとのこと。
ジャニーズ系列の会社として、同じビルに「ジャニーズアイランド」はあるそうです。
まとめ
幼少期に両親が離婚をしたためジャニーさんは、滝沢秀明さんにとって父親代わりだったようです。
父親のぬくもりを、ジャニーさんに教えてもらった感覚で「小さい頃に学ばなくちゃいけないことを1から教えてくれたのがジャニーさん。どこかでオヤジってこういう存在なのかな」と、滝沢秀明さんもこのように明かしています。
父親がいなかった滝沢秀明さんにとってジャニーさんは大切な存在であり、またジャニーさんも、滝沢秀明さんを本当の子供のように思っていたのでしょう。
そして、仕事としても信頼関係があったんでしょうね。
ジャニーズJrのリーダーを任されていたり、オーディションに滝沢秀明さんが参加されたり、「嵐」のデビューの際、陰ながらサポートしていたのも滝沢秀明さんだったようです。
そんな滝沢秀明さんはジャニーズJr、そして、ジャニーさんにとっていなくてはならない存在だったのでしょう。
その証拠に、「小さなジャニーさん」とも呼ばれていたようです。
これから滝沢秀明さんは、ほとんど公に姿を現さないと思いますが、プロデュース力を存分に生かし、今後のジャニーズをもっと大きくしていただきたいですね!