独特の話し方で、有名になった戦場カメラマンの渡部陽一。
タレントのように数多くのバラエティ番組に出演していた彼ですが、現在では、めったにテレビで顔を見なくなりました。
死亡したとの噂にもなっている?
そんな現在とは?
プロフィール
渡部陽一(ワタナベ ヨウイチ)戦場カメラマン・ジャーナリスト。
1972年9月1日生まれ、静岡県富士市出身。
A型。
「バンカラにあこがれて」という動機により早稲田大学を目指し2年間の浪人の末、明治学院大学法学部に進学した。
落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、大学の法学部に入った。
大学の一般教養課程の生物学の授業でアフリカの狩猟民族に興味を持ち、全く現地の知識もないまま旅行者としてピグミー族に会いに行くため、アフリカのコンゴ民主共和国に行った。
しかし当時はルワンダ紛争のまっただ中であったため、ルワンダの少年兵に襲撃され、カメラを含めた私物全てを差し出すことで何とか助かった。
帰国後周囲の人間に、その被害と少年兵がいる現実を説明したが、理解してもらえなかったことから、その場の状況を伝えられるカメラの必要性を痛感し「戦場カメラマン」となることを決意。
大学1年生のときから戦場へ取材に行っており、その影響で大学を2回留年したあと、同大学を卒業。
試験のときだけ帰国していたという。
当時は飲食店や写真撮影のアルバイトで貯めた資金で取材をしていた。
明治学院大学法学部法律学科卒業。
戦場カメラマンとして、世界の紛争地域や被災地などを取材している。
また独特の語り口調が話題となり、バラエティ番組でも活躍中。
死んだ説の真相
戦場カメラマンとして、以前はバラエティー番組に多く出演していた渡部陽一さん。
その独特の語り口調で、印象を確かなものにした彼ですが、「死んだ」と噂になっているらしく実態はどうなのか、調べてみました。
渡部陽一さんは、ここ最近露出が減少しているためか…
それが原因で、「死んだ」という説が囁かれてしまったようで、結論から申しますと渡部陽一さんは、現在も元気に生きています!
自身の公式Twitterでほぼ毎日、ツイートされています。
やはり、”戦場カメラマン”という仕事と、最近メディアから見なくなったという状態が重なり、そうしたことで死んだという噂を生んでしまったのかも知れませんね。
こんにちは戦場カメラマンの渡部陽一です。アフガニスタン情勢。アフガニスタンの最前線にはアメリカ軍とアフガニスタン軍による共同前線基地が設営されてきました。多国籍軍部隊ISAFが撤退した後、治安回復や復興支援、監視体制の強化などをアフガニスタン軍が主軸となりその役割を担っています。
— 渡部陽一 (@yoichiomar) July 7, 2018
そして2009年に結婚し、2010年6月9日に第一子の男児が誕生、父親にもなった渡部陽一さん。
自身に家族ができたことにより以前のように、戦場の最前線にも出向く機会は少なくなっている様子で、”家族が第一”とも明言しており、人生における優先順位がはっきりしたようです。
ですから、戦場カメラマンとしても見る機会が減少してしまい、ますます死亡した説が噂されてしまったのです。
現在、何してる?
では、現在渡部陽一さんは何をされているのでしょうか。
テレビなどの全国的に目立った出演はなくなってしまいましたが、現在も「戦場カメラマン」として各国を渡り歩いていることが、公式ホームページでも公表されています。
現地の様子などは、日本の小中学校などでも“講演会”という形で発信しているとのこと。
テレビに出てないだけで、多方面で活動を行っています。
さらに詳しく調べて見るとこんなことがわかりました。
現在の渡部陽一さんは本来の取材活動もしていますが、今は日本にいます。
主に小学校、中学校、高校や企業で講演会をやっているそうで、日本各地を飛んで回るほうが多くなったそうです。
そのほかに写真展をやったり、一時期に比べたら回数も減りましたが、スケジュールが合えばテレビにも出演しているとのこと。
しかし、今の仕事の割合は講演会が多いそうです。
そして何より家族のために、”安全が第一”と考えて最近は行動をするようにしているとのこと。
最前線に身を置き続ければ、家族も心配ですからこのような選択は正しいのではないでしょうか。
渡部陽一さんが死んだという噂と最近の活躍について、タレントのように多くのバラエティー番組に出演していた彼ですが、現在は全国で自身の経験を生かし講演会をしているとのこと。
そして、本来の取材活動もしていますが、家族第一に考え、無理はしていない様子です。
さらに、戦場カメラマンとしてほぼ毎日ネットで近況報告を行っています。