2016年津久井やまゆり園で、19人もの障害者を殺害した植松聖

この相模原障害者施設殺傷事件は、戦後”最悪”の殺人事件ともいわれ、「障害者は不幸を生むことしかできない」と供述しました。

現在の居場所や死刑確定は?

プロフィール

植松聖(ウエマツ サトシ)1990年1月20日、東京都日野市多摩平団地(現:多摩平の森)で、自治会活動に積極的に参加していた図工教師の父親と、漫画家の母親の間に、一人っ子として生まれる。

植松聖は子供の頃、いじめられている猫をかばうなど優しい少年だったものの、高校入学後、同級生を殴って転校した経験を持つ。

また、帝京大学在籍時の教育実習中、刺青を入れていたことが明らかになっており、植松聖の性格が豹変したのもその頃からだったという。

この頃「強い人間」に憧れナイトクラブに通い、2010年頃から、大麻などを吸引し始めるなど、薬物に手を出すようになり、卒業後は半グレ集団・右翼関係者とも交友を持つようになっていた。

2011年5月末から約1カ月間、母校の相模原市立千木良小学校で、教員免許を取得するために教育実習を行った。

2012年3月、帝京大学を卒業。

事件の4、5年ほど前から、夜中に植松聖の母親とみられる女性の泣き叫ぶ声が聞こえ、その約半年後、植松聖との同居に耐えかねた両親が、植松聖を1人残し、東京都八王子市のマンションに引っ越したという。

転居の理由について近隣住民らは「母親が野良猫に餌を与えて近隣とトラブルになったから」という説や、「植松聖が入れ墨を入れたことに両親が怒ったから」という話があったという。

植松聖は、大麻を吸っていても「きかない」と言いつつ、さらに危険ドラッグを吸うこともあったという。

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