2008年6月に起きた「秋葉原通り魔事件」は、衝撃的な事件として、記憶に残る方も多いのではないでしょうか。

この事件では加藤智大死刑囚が、歩行者7人を殺害、10人に重軽傷を負わせるという、凶悪なものでした。

その後、加藤智大死刑囚とその家族はどうしているのでしょう。

プロフィール

名前:加藤 智大(かとうともひろ)死刑囚

生年月日…1982年9月28日

出身地…青森県五所川原市

出身中学:青森市立佃中学校

出身大学:中日本自動車短期大学自動車工学科

加藤智大は青森県で生まれますが、幼少期から、母親に非常に厳しく育てられました。

加藤智大の母親は地域の教育アドバイザーをしていたこともあってか、子どもに完璧を求めすぎるあまり、熱心をはるかに超えて、虐待を行っていたようです。

・雪で靴を濡らしたという理由から、青森の極寒の冬の中、裸足で雪面に立たせていた

・九九が覚えられないと、お風呂に頭を沈めた

・泣くと、タオルを口に詰め込み、ガムテープで巻かれ、屋根裏に放り込まれた

・食べるのが遅いと、廊下に新聞を敷かれ、そこにご飯を撒かれ食べるよう言われた

このように、行き過ぎたしつけが日常的に行われていたようです。

また、母親のこのような行動に関して、父親も弟も一切口を出さなかったそうです。

どうやら極端な虐待を受けていたのは、加藤智大だけだったようです。

また、加藤智大は習い事などが一週間びっしりと組み込まれており、友達と遊ぶ時間はいっさい許されず、また友達を家に呼ぶことも禁じられていたと言います。

テレビも「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」しか見させてもらえず、漫画の本を買うことも読むことも許されませんでした。

このような凄惨な教育を受けたおかげなのか、母親の思惑通り、加藤智大はスポーツも成績も優秀となり、母親の卒業校でもあった青森の名門、青森県立青森高等学校に入学します。

しかし、ここから加藤智大の人生が狂っていきます。

進学校で、優秀な人材に囲まれる中、加藤智大は次第に成績も落ち、大勢の中に埋没していきます。

そして、家では暴力を振るったり、学校でも窓ガラスを割るなど、問題行動を起こすようになってしまいます。

結局、加藤智大は岐阜県の短期大学へ進学します。

その後、職場での対人関係に幾度となくぶつかり、職を転々とする加藤智大。

しかし、友人が全くいなかったというわけではなかったようです。

学生時代からずっと付き合いのある友人や親しくしていた友人もいたといいます。

またネットの掲示板にのめり込み、そこが「自分の帰る場所」とも言っていました。

そこでの発言がウケるほど、自分は一人じゃないと感じていたようです。

ところが、掲示板上で、その関係性が壊れていくと、加藤智大は孤独を強めていき、あの事件を引き起こしてしまいます。

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