「北九州監禁殺人事件」の主犯、松永太

その生い立ちは、想像を絶するほどに特殊なものと言え、裕福な家庭で甘やかされて育った松永太は、後に犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされた。

そんな現在の様子や子供とは…。

プロフィール

松永太(マツナガ フトシ)1961年4月28日生まれ。

北九州市小倉北区出身。

福岡拘置所に死刑囚として収監されている。

実家は畳屋で、7歳の頃に父親が実家の家業を引き継ぐため柳川市に転居した。

経済的には裕福な家庭であり、母親と祖母に甘やかされて育った。

小学校の全学年でほとんどの科目が「オール5」であり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、部活ではキャプテンを務めたが、当時から虚言癖があり、教師からの信用は低かった。

高校に進学し風紀委員長になるも、不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。

高校を卒業し父の店を受け継ぎ、家業を布団販売業に転換、有限会社化のちに株式会社にする(社名ワールド)。

1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。

1980年に結婚して1男をもうけるが、1992年に前妻と離婚。

その後に内妻と2男をもうける。

病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。

饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。

礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い(アフェクションレスキャラクターの傾向)。

異常なまでに執念深く嗜虐的。

神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。

「東大卒のコンピューター技師」「京大卒の予備校講師で物理学者の逸材で小説家志望」「実家は村上水軍の当主」「兄は東大卒の医者」など様々な嘘の経歴を名乗っていた。

現在の様子は?

他に例を見ない凶悪重大性と評された「北九州監禁殺人事件」の主犯の松永太。

1992年に指名手配されるまで、詐欺商法を繰り返し、従業員には親戚、友人、知人、その知り合いなどあらゆるツテを使わせ、暴力・通電・脅し(暴力団の存在をちらつかせる)・罰金を科せ恐怖で支配していった。

そして、拷問と虐待によって、マインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより、相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで、相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して、さらに死体処理を行わせた。

裁判では6人の殺害と1人の傷害致死。

これは、犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と厳しく非難。

2011年12月、最高裁判所によって主犯・松永の死刑が確定しました。

2018年現在、松永太は福岡拘置所に収監されています。

そして、自ら手は一切汚さず、死刑判決をうけた稀有な例といわれています。

しかし、現在も死刑執行は未だにされず、本人は、無罪を主張しているといいます。

子供のその後

松永太には、3人の子どもがいました。

最初の妻との間にできた男の子と、再婚した緒方純子の間にできた2人の男の子です。

そして、2017年にフジテレビ「ザ・ノンフィクション」で特集され、番組に緒方との間にできた長男が出演しました。

出演時は24歳の会社員と紹介されています。

両親が逮捕され、この長男が保護されたのは9歳の時。

その後、息子たちを待ち受けていたのは、冷たすぎる社会でした。

何をするにも保証人がいるので、そのたびに自信をなくしていた息子でしたが、建築現場で拾ってくれた人物に面倒を見てもらい、初めて優しくされた息子は居心地の良さを感じていましたが、その人物は裏社会とつながっていて結局、息子は未成年保護法によりそこからは引き離され、再び出直しを余儀なくされてしまいますが、現在働いている会社との出会いで、いい人たちに恵まれ、5年前には正社員になったそうです。

そして息子は結婚し、その相手とは小学校時代の幼馴染で旅役者をやってたという。

彼女もまた同じように親が逮捕されて、健康保険や年金などを彼女に何もかけていなかったことから、病院に行くこともできない彼女を何とかして助けてあげたいと、自分の扶養に入れるために結婚したことを語りました。

また子供に関しては、あのような環境で育ったので、どう愛情をかけたらいいのかわからないということで、最低限愛情をかけられるようになってから作りたいと語り、現在は2人で家賃4万円のマンションで静かに暮らしていると言います。

犯罪史上最悪で冷徹な「北九州連続監禁殺人事件」の主犯の松永太は、死刑が確定していますがいまだに、刑が執行されることなく存命しています。

時間が経過しても、この事件の残虐性が風化することなく、人間性の裏に潜む狂気の存在にはこれからも驚愕されることでしょう。

そして、両親は罪を犯しましたが、子供は全く関係ありません。

世間の圧力に負けないよう、頑張って生きてほしいと思います。