1988年8月、世間を震撼させる事件が発生。
犯人の宮崎勤は4人の幼女を次々と殺害し、犯罪史上稀に見る凶悪事件として、知られている。
その宮崎勤は、ちょうど10年前に死刑が執行され、すでにこの世を去っている。
そして家族は…。
プロフィール
宮﨑勤(ミヤザキ ツトム)1962年8月21日- 2008年6月17日。
日本の元死刑囚。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。
東京都西多摩郡五日市町小和田で、地域新聞会社「秋川新聞」を経営する、裕福な一家の長男として出生する。
両親は共働きで多忙なため、産まれてまもなく、30歳ぐらいの知的障害を持つ子守りの男性を住み込みで雇い入れている。
幼少期の勤を、ほとんどこの男性と祖父が面倒をみていた。
宮崎家は、曽祖父が村会議員、祖父が町会議員を務めるなど地元の名士であった。
家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人である。
祖父は引っ込み思案な勤を連れて歩き可愛がっていた。
幼い頃から手首を回せず手のひらを上に向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症」に罹患し、当時は日本で症例が150程度の珍しい身体障害があったが、医者から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう」と言われ、4歳の時に手術も考えたが、「もし手術して身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした」と積極的な治療を受けさせなかった。
1983年4月の短大卒業後は叔父の紹介で、小平市の印刷会社に就職し、印刷機オペレーターとして勤務。
勤務態度は極めて悪く、評判も非常に悪かった。
1986年3月に勤めていた印刷会社の上司から神奈川県への転勤を勧められたが拒否した為、自己都合退職する。
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