スポーツキャスターとして名を馳せたタレント、山岸舞彩。

そんな彼女ですが、芸能界を引退してからはあまり話を聞かなくなりました。

今回はそんな彼女の軌跡を辿ってみたいと思います。

プロフィール

生年月日 198729

年齢 34

出身地 東京都中央区

血液型 O

身長 168 cm

スリーサイズ 84 – 57 – 84 cm

靴のサイズ 24 cm

デビュー 2005

学歴 日本女子大学文学部日本文学科卒業

職業 書家

山岸は築地市場で卵焼き屋をやっていた父親の下に生まれました。

父親が経営していた卵焼き屋の「山勇」の近所にはテリー伊藤の兄が経営していた卵焼き店があり、父親はしばしば、その卵焼き屋に手伝いに行っていました。

兄弟は他に兄が一人います。

山岸は小学生になると水泳とゴルフを始め、水泳では背泳ぎでジュニアオリンピック東京都大会に出場するほどでした。

またゴルフにおいても好成績を叩き出し、中学時代には関東大会で6位になるほどでした。

その後山岸は書道に興味を持っていたこともあって、大学は文学部に進学し、主に日本文化について勉強しました。

また山岸は進学を機にモデルとしての活動も始め、2005年の秋には東レのキャンペーンガールに選ばれるまでに至りました。

その頃から山岸の芸能活動は徐々に軌道に乗り始め、2006年にはテレビ東京「激走!GT」にてレポーターの仕事を任されました。

任された当初はモータースポーツに関しては全くといっていいほど知識がなく素人同然でしたが、仕事を続ける中で勉強に勉強を重ねてなんとか食らいつきました。

また同年山岸は、テレビ朝日の「だめんず・うぉ~か~」にてドラマ初出演を果たし、活躍の幅を大きく広げていったのです。

その翌年にはテレビ朝日の「やじうまプラス」にてキャスターを務め、朝の顔として親しまれるようになりました。

2008年には先述したモータースポーツリポーターとしての働きが認められてか、世界ラリー選手権のナビゲーターを務めることとなりました。

山岸はここで解説者に対して玄人顔負けのツッコミを入れるなど派手な活躍を果たしており、その後も2009年、2010年とナビゲーターを務めました。

2009年には今度はNHKBS1の「Jリーグタイム」のキャスターに選ばれました。

山岸はこの時全くサッカーの知識がなく、制作陣の中にはそのことを不安視する声もかなり多く上がっていました。

しかし持ち前の勉強熱心な性格を活かしてプライベートで試合を見に行ったりするなどの自習を重ねたことにより、2011年にキャスターを交代する直前にはプロレベルの知識を持つほどになったのです。

その後はこの功績もあってNHK総合の「サタデースポーツ」と「サンデースポーツ」のメインキャスターを担当するようになりました。

山岸がキャスターを務めていた2012年、ロンドンにてオリンピックが開かれましたが、そこの現地キャスターに抜擢され、現地で取材活動に邁進しました。

2013年、山岸は今度は日本テレビの「NEWSZERO」のニュース・文化担当キャスターを務めるようになりました。

しかし2015年に突如結婚と芸能界引退を公表し、9月をもって芸能界から忽然と姿を消しました。

目撃情報

そんな山岸ですが、引退後はめっきり見る機会が無くなっています。

というのも山岸は結婚する条件として芸能界を引退する事を上げられており、山岸は結婚するために渋々芸能界を去りました。

現在は表舞台から去って普通に主婦業を務めており、また育児にも励んでいるとのことです。

そのことについて以前週刊誌の「女性自身」が山岸の義母に直撃し、取材を行いましたが、現在の生活については「もう一般人だから」の一点張りで全く明かされる事はなく、今なお闇に包まれています。

現在の写真

そんな山岸ですが全く表舞台に出ていないわけではなく、書家として活動をしています。

山岸は2010年に現代書道の師範になっており、そこで「彩周」という雅号を貰っています。

同年に「かな部1類」でU23新鋭賞、2013年に近代詩文書部にて佳作とかな部にて入選するなど書道の道を極めています。

書家としての活動は芸能界引退後も精力的に続けており、2016年にはかな部と近代詩文書部の双方で入選を果たしました。

書家としての評判は徐々に上がってきていますので、復帰する際も山岸舞彩ではなく「書家・山岸彩周」として復帰しそうな気がします。

いかがでしたか?

山岸がモデルとして当初芸能界に入ったことは少し意外でしたね。

モータースポーツといいサッカーといい、山岸の勉強熱心な性格はここまでの地位に登りつめた一つの要因だと感じました。

どのような形になるのかは分かりませんが、いずれもう一度テレビにて山岸を見てみたいものです。