山本譲二さんといえば、『みちのくひとり旅』が大ヒットし北島ファミリーとして知られています。

しかし、それ以降ヒット曲に恵まれていないにもかかわらず、なんと紅白に13回も出場しているとのこと。

そんな彼の現在とは…?

現在の姿

山本譲二さんは高校卒業後、演歌歌手に憧れて上京するも、挫折し酒におぼれ、肝臓を壊して帰郷。

22歳で再び上京し、24歳でデビューするもパッとせず、崖っぷちに。

意を決して北島三郎さんの仕事場に何度も足を運び頭を下げ、北島さんの”カバン持ち”から付き人として修行をスタート。

25歳の時に本名の「山本譲二」でデビュー。

しばらく鳴かず飛ばずが続き5年経った1980年、30歳の時にリリースした『みちのくひとり旅』が1年越しで大ヒットしました。

そんな山本譲二さんは31歳で、演歌スター歌手の仲間入りをはたし1981年に紅白初出場されています。

山本譲二さんの曲がヒットしたのは31歳と、意外にも遅咲きだったのです。

そんな苦労をされてきた歌手の山本譲二さんでしたが、2009年『顔面神経良性腫瘍』と診断されています。

それ以来、現在も右耳の難聴と闘っているそうです。

この病気は鼓膜の奥を通る顔面神経に腫瘍ができ、耳の奥の耳小骨を覆って鼓膜の振動が感覚器官の蝸牛に伝わらず、耳が聞こえづらくなるものだそうです。

山本譲二さんの腫瘍の摘出は可能だったようですが手術をした場合、同時に顔面神経を切断し、舌から取った神経を使ってつなぎ直す必要があるため、顔面マヒは避けられないそうです。

そして、口の筋肉が動かせなくなってよだれが出やすくなり、食べ物が口からこぼれるという症状が出るとのこと。

このことから、手術をしてしまうと歌手にとって致命的ともいえます。

そして、山本譲二さんは悩んだ末、手術をあきらめたそうです。

現在、山本譲二さんは右耳の聴覚を完全に失い、左耳まで徐々に聞こえづらくなっているとのこと。

しかし、苦労して掴んだ演歌歌手という仕事をこれからもやめるつもりはないようです。

歌手・山本譲二さんのファンもたくさんいますし、声が出る限り期待にこたえたい気持ちも強いようです。

そして、最近は補聴器なども昔に比べると進化していますので、医療器具を活用しながら無理のない歌手活動を続けている様子。

このようなことから現在の山本譲二さんは、耳の病気を抱えているものの、芸能活動は意欲的にされていてその姿も以前と変わらず健康そうです。

北島ファミリー

演歌界の最大派閥ともいえる、”北島三郎”さんが率いる”北島ファミリー”。

長きに渡って演歌界に君臨した歌手の弟子たちだけに、そのメンバーもそうそうたるメンバーになっています。

まずは、北島三郎さんが演歌界の大御所として残してきた記録は様々存在します。

例えば『NHK紅白歌合戦』には史上初の50回というとんでもない記録の持ち主です。

また、明治座で行われた公演階数は4500回を越えており、明治座の歌手の座長公演としては国内最多です。

NHK『思い出のメロディー』では司会を担当し、78歳での司会担当は番組最年長司会者の記録になっています。

さらに、2016年には旭日小綬章を受賞しています。

そんな北島三郎さんは芸歴50年を越えており、松尾芸能賞の大賞、日本放送協会の放送文科賞も受賞しています。

北島三郎さんの一番弟子といえば、山本譲二さんの名前があがると思います。

山本譲二さんは北島三郎さんの仕事場に何度も足を運んで、頭を下げ続けたそうです。

そんなある日、山本譲二さんは北島三郎さんに鞄を渡されたそうです。

つまり、鞄持ちと言われる付き人、弟子入りを認められたというわけです。

その後、山本譲二さんは北島三郎さんの付き人を2年間務めることになります。

次第に、演歌歌手として北島三郎さんの元には様々な人物が弟子として集まるようになり、”北島ファミリー”と呼ばれることになりました。

そのメンバーには現在も、一線級として活躍している演歌歌手がいます。

弟子のメンバーとして名前があがるのは、小金沢昇司さんや原田悠里さん、和田青児さん、山口ひろみさんや大江裕さんなどが有名ですね。

そんな有名な弟子としてあがるメンバーたちなのですが、実は破門されるような人物も多く、なかなか弟子も厳しい修行の毎日だといわれています。

破門の真相

”北島ファミリー”といえば山本譲二さんといわれるほど、山本譲二さんは『みちのくひとり旅』でブレイクし、北島ファミリーの要でした。

その山本譲二さんが独立事務所を設立したことから、さまざまな憶測が飛び交っています。

中でも山本譲二さんは『北島ファミリーを破門された』というもの。

結論から言ってしまうと、破門されたわけではなくネット上にいろんな噂があるようですが、北島三郎さんは山本譲二さんのことを認めて、のれん分けのような感じで独立を認めたということらしいのです。

北島三郎さんからすれば、いつまでも自分の弟子ということで縛り付けるよりは、独立させて一人前になってもらいたかったという思いもあるのではないでしょうか。

山本譲二さんは2007年に個人事務所と立ち上げて独立しましたが、いまでも北島音楽事務所とは業務提携をしているそうですし、関係が悪化したという感じではないようです。

しかし、山本譲二さんには”ブラックな組織”とのトラブル説もあります。

それが北島三郎さんの逆鱗に触れ、山本譲二さんは北島ファミリーから破門になったというのです。

さらに、山本譲二さんは「みちのくひとり旅」以降、ヒット曲に恵まれていませんが紅白に13回も出場しています。

これは、紅白歌合戦に「北島枠」なるものがあり、その恩恵にあずかっていたというのです。

北島三郎さんご本人が1枠、残り北島枠は1つというもの。

ちなみに現在は、北島ファミリーに北島三郎さんの娘と結婚した北山たけしさんがいます。

そのため山本譲二さんは独立し、その枠から身を引く形になったとの噂。

その噂を裏付けるかのように、近年の紅白歌合戦に山本譲二さんは出演しなくなり、北山たけしさんが毎年出演しています。

このような噂もあるようですが、山本譲二さんの独立は北島三郎さんとの仲違いではなく、あくまでも”円満”に独立したとのことです。

山本譲二さんは『みちのくひとり旅』で売れたときに天狗になってしまい、態度が悪くなってしまったことがあったそうです。

そんなとき北島三郎さんから、「かわいくねえ。給料やらねえぞ」と叱られたそうです。

山本譲二さんにとって北島三郎さんの影響力は絶大で、そういう威光を利用して増長してしまった部分があったのかもしれません。

このことから、北島三郎さんが山本譲二さんを独立させたのも、そういう素行の問題や北島三郎さんの威を借りるような、山本譲二さんの態度を快く思っていなかった可能性もあるのでは?という様々な憶測が飛び交い、山本譲二さんは”破門”されたという噂までも浮上してしまいます。

確かに山本譲二さんは、北島ファミリーの中心人物だっただけに大きな反響がありましたが、独立された現在も北島音楽事務所とは業務提携をしているそうで、関係が悪化したわけではないようです。

今、何してる?

『顔面神経良性腫瘍』と診断され、右耳の聴力を失っている山本譲二さんですが、現在もなお歌手として活動されています

そして、最近はタレントとしても活動されラジオ出演やブログも更新されています

さらに、情報番組のコメンテーターなどにも出演されていて話題になっています

そんな山本譲二さんは、お二人の愛娘を溺愛しています。

長女・琴乃さんは2011年に歌手デビューしていました。

そんな琴乃さんは、726グラムの超低出生体重児で生まれたそうで、そのため琴乃さんは出生後生死の境をさまよい、医師からは脳や視力障害も覚悟するようにといわれていたといいます。

そんな娘が成長し、自分の夢を追いたいという姿に山本譲二さんはもうメロメロ。

大学を中退し、歌手の道を進みだした琴乃さんを山本譲二さんは全力で応援していました。

しかし、琴乃さんは現在歌手活動を休止しています。

そして、2016年に琴乃さんは一般男性と結婚。

山本譲二さんに初孫が誕生していて、遂におじいちゃんになっていてさらに、デレデレぶりが加速しているのではないでしょうか。

このように、現在の山本譲二さんは今まで通りの歌手として活躍され、さらに幅広く芸能活動をされている様子です。

そして、何より家族を大事にされているようですね。

家族を大切にしている山本譲二さん2010年8月には、奥様である悦子さんの右胸に乳がんが見つかりました。

ステージはⅠかⅡ。

すぐに手術を受け、乳房の3分の2とリンパ節を切除されたそうです。

手術は無事に成功したものの、悦子さんのショックは大きく、また退院後の闘病生活は予想以上に辛かったそうです。

手術後は完治では無くて、リンパ液が溜まって腕がパンパンになったり、その液を抜くために太い注射をさしたりと、このように傷の痛みはもちろんですが胸を失った精神的ショックも大きく、気持ちが落ち込んでいってしまった悦子さんでしたがそれを支え続けたのが、夫である山本譲二さんでした。

それまで家事などしたことなかった山本譲二さんでしたが、「ゆっくりしていて」と率先して家事をし、気遣ってくれたそうです。

当時、山本譲二さんご本人も耳の病気と闘っている中での看病だったため、悦子さんも「自分は大丈夫、仕事に差し障らないようにして」と、山本譲二さんを気遣っていたそうです。

今後の山本譲二さんは、耳の病気を抱えながらも歌手活動をして、家族第一に過ごされるのではないでしょうか。