2007年に千葉県で起こった、イギリス人で英会話学校の講師をしていたリンゼイ・アン・ホーカーさんが殺害された事件からすでに10年が経過しました。

市橋達也受刑者は現在どうなっているのでしょうか?

また、市橋達也受刑者の家族は、事件後、どのように暮らしているのでしょうか?

事件の内容と、それぞれの現在を見ていきたいと思います。

事件発生〜判決の経緯

2007年の3月に、千葉県市川市の自宅マンションで、市橋達也受刑者が、当時22歳だった英会話学校の外国人講師リンゼイ・アン・ホーカーさんを絞殺するという痛ましい事件が発生しました。

事件は、リンゼイさんが帰宅しないことを心配した同居の女性が、警察に通報したことで動き始め、防犯カメラに一緒に映っていた市橋達也受刑者に事情を聞くために警察官達が自宅を訪れたことで発覚しました。

その際に、市橋達也受刑者は警察の制止を振り切って裸足のまま逃走し、約2年7ヶ月に及ぶ逃亡劇が始まったのでした。

その後、市橋達也受刑者は各地を転々とし、整形を繰り返したり、沖縄県のオーハ島で自給自足の生活をしたりしながら逃げ回っていましたが、2009年の11月に通報を受けた警察により、大阪南港フェリーターミナルで逮捕されたのでした。

2012年に、一連の事件の裁判が終わり、市橋達也受刑者は無期懲役が言い渡されました。

市橋達也受刑者も上告はせず、罪を受け止めたのでした。

両親含む家族はどうなっているのか?

市橋達也受刑者の父親は医者をしており、母親も歯医者をしており、両親共に医者をしているという裕福な家庭に生まれました。

恵まれた環境に育ち、すくすくと育った市橋達也受刑者でしたが、大学受験でつまずいてしまったのでした。

4浪したあげくに目指していた医学部には入ることができず、別の大学に入れたものの卒業後も働こうとせず、親の仕送りを頼りに暮らすニートとなってしまいました。

市橋達也受刑者の両親もそんな息子の姿を心配し、毎月15万円ほどの仕送りを繰り返していたそうです。

しかし、いっこうに社会に出て行こうとしない息子を心配した両親は、苦渋の思いで市橋達也受刑者に「もう仕送りはしない」ということを伝えたのでした。

それがあの事件発生の数日前だったこともあり、真実は定かではありませんが、その影響で市橋達也受刑者が自暴自棄になってしまい、事件につながったのではないかとも言われています。

事件が発生し、市橋達也受刑者が逃亡してからは世間の批判の目は両親に向けられ、マスコミや社会からも大きく批判されました。

しかし、それでも市橋達也受刑者の両親はすべきことをしっかりと考え、リンゼイさんの家族に手紙を何度も送って謝罪を繰り返したり、リンゼイさんの家族が来日する度にその費用を負担してきたりしているのです。

事件を受けて、ショックと責任を感じたのか、現在は、両親はどちらも医者の仕事を辞めています

また市橋達也受刑者には姉がおり、事件発生時にはすでに結婚していたようですが、市橋達也受刑者の逃亡を受けて離縁されてしまったそうです。

事件を通して、被害者やその家族はもちろん、市橋達也受刑者とその家族の人生も大きく変わってしまったのでした。

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