日本を代表する剣劇女優である浅香光代さん。

ミッチー・サッチー騒動でも有名な方ですよね。

そんな浅香光代さんですが、波瀾万丈な人生を送られているんです。

その1つに、隠し子がいらっしゃる事を告白。

更に、そのお相手は、妻子持ちの大物政治家!?

気になるお相手の方や現在について調べてみました。

プロフィール

名前:浅香光代(本名:北岡昭子)

生年月日:1928年2月20日

血液型:B型

出身地:東京都千代田区

【経歴】

日本の剣劇女優ブームの立役者でもある浅香光代さんは、10歳の頃に、浅香新八郎さん率いる劇団「新生国民座」に入団。

そこで、浅香新八郎さんの奥様でもあり劇団のメンバーでもあった森静香さんから「森」をもらい「小森昭子」として活動を開始。

しかし、1944年(昭和19年)に、座長の浅香新八郎さんが急逝された事で、劇団は解散となります。

翌年に阪東鶴蔵一座に入団されますが、浅香新八郎さんの名前をとり、ご自身で浅香光代劇団を旗揚げ。

新しく劇団を立ち上げたものの、知名度は低く人気が低迷されていました。

そこで当時、戦局悪化で曖昧な規制対象にされていた女剣劇の復活に携わることに!

これが功を奏し、一気に話題となります。

知名度が低く低迷していた劇団も、女剣劇の復活により、浅草や新宿などの芝居小屋で、長期興業を張るほどにまで成長。

更に、人気劇団となるきっかけとなったのが、1954年(昭和29年)のストリップが公然わいせつ罪で検挙された事で、それに代わる形で女剣劇は再注目される事に!

昭和30年代に、不二洋子さん、大江美智子さん等とともに、女剣劇を盛り上げる立役者になられます。

当時の浅香光代さんがこちら!

かなり綺麗ですね。

その後、初の自叙伝「女剣劇」を出版されます。

しかし1970年、時代の流れとともに劇団を解散し、女優へと転身されます。

歯に衣着せぬ物言いが親しまれ、様々なバラエティ番組やワイドショーなどに出演。

1999年、かの有名なミッチー・サッチー騒動が勃発!

そのきっかけとなったのが、サッチーこと、故・野村沙知代さんに剣劇を教え、その後舞台で共演していたものの、番組内で野村沙知代さんを批判。

互いに、テレビを通じて批判合戦を行い、大きな話題となりました。

この一件により老若男女問わず知られる形になった程、有名な騒動にまで発展しています。

騒動の決着は、野村沙知代さんが逮捕(のちに釈放)。

浅香光代さんにも、野村沙知代さんに対する名誉毀損により110万円の支払いが命じられるなど、どちらにとっても痛いものとなっています。

普段から率直にものを申される方なので、こういったトラブルには、しばし見舞われるのかもしれませんね。

事実、これまでの人生を振り返られても、何度かの再婚と離婚を繰り返されているそうで、決して平坦な人生ではなかったようです。

1992年からは、内縁の夫となった世志凡太さんと連れ添う形で落ち着かれています。

相手の大物政治家は誰?

2013年、85歳という年齢で、週刊誌にて「隠し子がいる」事を告白した浅香光代さん。

19歳の時に、当時30歳程年上で、妻子持ちだった方との不倫の末、未婚でお子さんを出産。

更に、20代の時にも、隠し子を出産されています。

どちらのお子さんも、息子さんですが、気になるお相手が、政治家なんだそうです。

週刊誌や番組内で語られているお相手についてですが…

・30歳年上

・妻子持ち

・総理大臣経験者

・副総裁経験者

・名前にSがつく

・息子がおり父と同じ政治家である

・お相手はすでに他界

との事でした。

今まで隠していた事を、なぜこのタイミングで発表されたのか?

それは、浅香光代さん自身の切ない母親心からくるものでした。

元々、息子さんたちとの関係は、親子と呼べるようなものではなかったそうです。

一度も「お母さん」と呼ばせたことはなく「先生」と呼ばせていたそうです。

母親としても接してきておらず、父親についても「飛行機事故で亡くなった」と済まされていたそうです。

しかし、60歳を迎えた息子さんとテレビ対面により、父親について知りたいと頼まれた事がきっかけで、これまでを振り返り後悔されたそうです。

懺悔の気持ちをこめて、今回、父親について告白される経緯に至ったのだとか…。

ただ、いくら亡くなっているとはいえ、お相手のご家庭に迷惑がかかる事もあり、実名は公表されておりません。

そこで、相手は誰なんだ?とネットで推測が始まる事に…。

重要候補者として上がったのが、鈴木善幸さんです。

しかし、鈴木善幸さんは、浅香光代さんとは17歳しか変わらず、あてはまりません。

次に、候補者となったのが、川島正次郎さんでした。

川島正次郎さんには、名前にSがあり、浅香光代さんとは30歳程離れられています。

しかし、副総裁の経歴はあるものの、総理大臣の経歴はありません。

また、ご子息は、お亡くなりになられており、政治家にはなられていない事が判明。

その後、佐藤栄作さんなど、数々の名だたる政治家たちが候補者として上がるものの、すべての条件を満たす方がおりません。

この為、決定的な決め手がなく、誰?のままになっています。

そこで浅香光代さんの発言を振り返ってみると「総理だった人」と発言される前に「総理大臣になり損ねた人」と発言されています。

すぐさま「総理大臣だった人」と訂正されていますが、本当は「なり損ねた人」が正しいのかもしれません。

長年胸に秘めつづけられた事ですから、息子さんの為とは言え、暴露する事により、お相手に迷惑がかかるのを怖れた余り、真実は反対の事を述べた事も考えられます。

もし、なり損ねた人が正しいとするならば、川島正次郎さんである可能性が高いかもしれませんね。

現在

2018年2月20日に、90歳のお誕生日を迎えられた浅香光代さん。

その際、卒寿祝いを開かれており「浅香光代、これからも頑張ります」と、しっかりしたお言葉で挨拶されています。

しかし、2年後の2020年12月に入院先の病院にて、すい臓がんでお亡くなりになられました。

享年92歳でした。

最後のテレビ出演は、2020年10月に収録された「アナザーストーリーズ阿部定事件~昭和を生きた妖婦の素顔~」でした。

それから僅か2か月後にお亡くなりになられている事から、収録の時点で、もしかすると、お体も辛い状態だったのかもしれませんね。

若い頃から波瀾万丈な人生を送ってこられた浅香光代さん。

ご冥福をお祈り申し上げます。