元ボクサーのチャンピオンでもあった畑山隆則さん

2002年の引退後は芸能界でも活躍していました。

同時に、実業家、ボクシングの指導者としても成功しているようです。

最近はテレビで姿を見ることが少なくなったように思いますが、現在は何をしているのでしょう。

プロフィール

名前:畑山 隆則

職業:元プロボクサー、タレント、俳優、実業家

生年月日:1975/7/28

血液型:A型

出身:青森県青森市

畑山隆則さんは青森県青森市出身で、中学生の頃は野球部に所属していたそうです。

将来はプロ野球選手を目指していたそうで、スポーツ推薦で青森山田高校に入学。

野球部に入りましたが、先輩と対立して、退部してしまいます。

しかし、同郷に元WBA世界フライ級王者レパード玉熊さんがいたこともあり、プロボクサーになることも憧れの一つだったようです。

そしてテレビで辰吉丈一郎さんがWBC世界バンタム級王座を獲得したのを見たのをきっかけに、プロボクサーになることを決意します。

畑山さんはプロボクサーになるため、高校を中退し、一人東京へやってきます。

初めにガッツ石松さんなどを出したヨネクラジムへ入ります。

しかし、大勢の選手や練習生を抱えるジムの環境と合わず、京浜川崎ボクシングジムへ移籍します。

そこで韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、以後、2人で世界に挑戦していきます。

1993年のデビュー戦から、その才能が抜きんでていたとされる畑山さん。

6戦6勝で東日本新人王を獲得。

そこから、畑山さんの記録が始まります。

連勝をし続け、日本ボクシング界の期待を背負っていきます。

当時日本ボクシング界は世界チャンピオンが不在。

世界挑戦に敗戦が続く中、ついに1997年、畑山さんは世界チャンピオンのチェヨンスに挑戦します。

しかし、この試合で、畑山さんは後半から失速。

判定による結果、引き分けとなってしまいました。

全勝記録に引き分けがついてしまいました。

1998年、再びチェヨンスに再挑戦。

前回の失敗を生かし、遂に念願の世界タイトルを手にします。

畑山さんはリングで大号泣し、「僕のために先生はずっと苦労してくれた。ほかの人にも感謝したいけど、やはり先生と一緒に世界を取りたかった。」と柳トレーナーに感謝を述べました。

「負けたらやめる」と言っていた畑山さんは、1999年、遂にサウル・デュランとの対戦で初黒星を付けてしまいました。

同年7月、現役を引退し、芸能界入りします。

しかし、2000年、引退を撤回し、復帰。

復帰のきっかけにはジムの会長の一言「おまえと坂本博之の試合が見たいなあ」があったそうです。

坂本選手はライト級の選手で、「平成のKOキング」呼ばれていました。

ファンの間では「畑山VS坂本」は夢のカードと言われていましたが、実現は無理だと思われていました。

しかし、復帰戦で勝利した畑山さんはリング上から「次は坂本選手とやります」と宣言。

ファンは大喜びしました。

2000年10月11日、多くのファンが待ち望んだ畑山隆則vs坂本博之の試合。

KOラウンド10回で、坂本選手がリングに倒れます。

タオルが投げ込まれ、試合終了。

畑山さんの勝利となりました。

「この試合に関しては、ファイトマネーやベルトなんてどうでもよかった。彼となら、きっと燃える試合ができるだろうと感じていました」と、のちに畑山さんは語りました。

そして2002年、畑山さんは正式に引退します。

息子・隆将に障害の噂

畑山さんは選手として苦しい時期に支えてくれた妻がおり、またその間には息子がいたようですが、離婚しているそうです。

現在はアナウンサーだった7つ年上の清原久美子さんと結婚。

元アナウンサーだけあって、とてもきれいな方です。

清原さんはテレビ金沢でキャスターを務め、その後フリーランスに。

2000年には水着写真集も出しています。

2人の間には息子さんがいますが、息子さんには「障害があるのでは?」という噂があります。

しかし、これは全く根拠のない噂のようです。

現在嫁との関係は?

畑山さんご夫婦には離婚の噂も流れていたようですが、現在の所、夫婦仲は順調のようです。

引退後、タレント活動を活発にしていた畑山さんですが、現在は実業家としての仕事に重きを置いているようです。

もともと、経営者になりたいという願望があったという畑山さん。

現役時代、多くの方と会い、「社長さんていいな」と思ったそう。

引退後は中退した青森山田高校へ通信制過程で再入学し、卒業後は系列の青森大学へ進学、経営学を専攻しています。

経営者としての道をしっかりと進んでいったようですね。

また事務の経営をしながら、後輩の育成にも力を入れる畑山さん。

竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムマネージャーとして、チャンピオンとなるボクサーを育てているようです。

いつの日か、自分が育てたボクサーが世界タイトルに挑戦できることを夢見て、現場でがんばっている畑山さん。

いつか夢が叶う日が来るといいですね。