高校サッカー界最後のスターと言われた、平山相太

長崎・国見時代から稀代の怪物ストライカーとして、眩いスポットライトを浴び、将来の日本代表を背負うと期待された平山相太ですが、なぜ引退してしまったのか…?

プロフィール

平山相太(ひらやまそうた)元プロサッカー選手。

1985年6月6日生まれ、福岡県出身。

現役時代のポジションはフォワード。

北九州市立田原中学校卒業。

長崎県立国見高等学校卒業、筑波大学体育専門学群中退、仙台大学体育学部在学。

元日本代表。

小学校2年(8歳)よりサッカーを始め、抜きん出た体格と素質を示した。

高校卒業を前に、Jリーグだけでなくヨーロッパのクラブからもオファーが来ていたが、恩師小嶺のアドバイスもあり、全てのオファーを断って2004年4月からの筑波大学への進学を決断。

この選択は、プロスポーツやサッカー界を取り巻く環境面についての議論を呼んだ。

日本に帰国後にはJリーグの複数チームから獲得の打診があり、「学業の両立」が可能で、かつ、「すぐ試合に出られるチーム」を条件に絞り込み、9月10日にFC東京への加入が決定。

しかし、ヘラクレス側は平山のこの行動を不服とし、「説明が無い限り(公式戦出場に必要な)国際移籍証明書を発行しない」という声明を発表したが、期限前に証明書は発行され無事に2006年のJリーグ公式戦に出場できる運びとなった。

国際移籍証明書がなかなか発行されなかったために日本サッカー協会が選手登録の締切り期限を1日延長した。

2006年、9月30日の対新潟戦でJリーグデビュー(先発出場)した。

『プロ経歴』

2005年 – 2006年9月ヘラクレス・アルメロ

2006年9月 – 2016年FC東京

2017年ベガルタ仙台

なぜ、引退した?

平山相太さんは、高校サッカーの名門・国見高校で3年連続全国大会に出場し、史上初の2年連続得点王、史上最多となる通算17ゴールという、未だ破られていない大記録を打ち立てた「歴代最高のストライカー」でした。

Jリーグから、ヨーロッパのプロリーグへ入団し、一年目で、いきなりチームの得点王に輝く偉業を成し遂げ、間違いなく日本人最高クラスの活躍だったはずでしたが…。

そんな誰もが、将来日本のエースになると信じて疑わなかった平山相太さん。

なぜか、海外クラブで得点王に輝いた翌年、いきなりチームから戦力外通告の「クビ」となるのです。

その理由は、「極度のホームシックだった…」という噂もありましたが真相は語られず、帰国してからJリーグで約10年プレーしますが、サポーターの期待が大きいこともあり、その割には大した活躍もできず、代表に招集されるも結局4試合ほど出場にとどまる結果に…。

そして、絶大な才能がありながらも、ついにはW杯に一度もでることなく、2018年1月に13年の選手生活に終止符を打ち、ひっそり引退されました。

この突然の引退劇には「なぜ?」の声もあがった平山相太さん。

突然の引退理由に関しては、度重なる怪我のせいで公式戦復帰時期が見えない状況が続いたことで、現役を続けるモチベーションが維持出来なくなったことが原因のようです。

ロン毛になった?

平山相太さんといえば、坊主や丸刈りの短髪スタイルのイメージがあると思いますが…

なぜか、現在”ロン毛”になっていると噂されています。

本当なのでしょうか?

平山相太さんの現在の髪型は…。

このように、ロン毛ではないようですね。

しかし、現役選手時代にはこんな姿もあったようで…。

2012年の平山相太さんはロン毛とまではいきませんが、これまでの平山相太さんのイメージと比較すると、かなり髪が長く感じます。

坊主か丸刈りのイメージがある平山相太さんは、これくらいでも髪が長いとかなり違和感がありますよね。

ちなみに、これにはイメージチェンジを予告していたようで、その結果ロン毛でヘアーバンドもしてみたいとも語っていたようです。

サッカー選手の場合、特に髪が長いとチャラチャラしているようなイメージを持たれてしまいます。

そして、高校球児は丸刈りが基本ですが、高校生のサッカー部員はロン毛も多いので、高校球児の方がイメージが良いケースが多いようですね。

それに反して平山相太さんは、常に坊主や丸刈りスタイルでそんなところにも好感が持てたのでしょう。

現在、何してる?

引退後の平山相太さんは、現在何をされているのでしょうか?

気になるその後は、意外にも…仙台大学に合格された事でも話題になりました。

現在は、宮城県の仙台大学体育学部にAO入学され、のどかな田舎町で10歳以上年下の同級生に混じって、講義を受ける毎日とのこと。

そこはどれだけののどかさというと、仙台駅からローカル線に乗って30分。

船岡駅で下車し、南へと伸びる通りを行く。

仙台駅周辺とは打って変わって、すれ違う学生の多くは、ジャージー姿だそう。

平山相太さんは、「現役時代からもう1回勉強したいと思っていた」と語り、高校の先生やサッカーの監督になることも視野に入れているようです。

授業後には仙台大サッカー部のセカンドチームで監督を務め、指導者としての修業もしているそうです。

また、吉本興業とマネジメント契約を結び、休日には全国のサッカーイベントにも参加しているとのこと。

サッカー選手の多くが引退後たどる道は、Jリーガーのコーチや監督、代表経験を活かした解説者、そして、転職し全く別の仕事に就くこの3タイプでしょう。

現在は、大学生として学んでいる平山相太さんですが、今後もサッカーに携わった仕事をされるのではないでしょうか。

平山相太さんは、高校生時代から期待されていましたが、怪我に悩まされ突然引退されました。

引退後は指導者の道を突き進まれるようですし、優秀な指導者になって頂きたいですね。

そして、平山相太さんが現役のサッカー選手時代に活躍した経験や苦しんだ経験は、必ず指導者になる時にも生きてくると思うので、今後も注目しましょう。