最初に結論!久米宏さんは現在、病気にはなっておらず、ラジオをメインに活動しているようです。

久米宏といえば、1978年に放送がスタートした『ザ・ペストテン』で一躍人気アナウンサーに。

その後、報道番組『ニュースステーション』のメインキャスターに就任し、番組終了の2004年まで務めました。

そんな彼の現在は…。

プロフィール

久米宏(くめひろし)1944年7月14日生まれ、埼玉県出身。

早稲田大学卒(1967年)TBS入社(1967年→1979年)TBSを退社後、フリーアナウンサーとして活躍。

1967年4月、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、TBSにアナウンサー12期生として入社。

1967年11月15日 – アナウンサー研修室設置に伴い、アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。

1969年、麗子と結婚。子供はなし。

1970年4月、『パックインミュージック』金曜パーソナリティに抜擢されるが、病気により、5週で降板。

1970年5月、この月からスタートした『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』の中継リポーターを務める。

1975年10月、『料理天国』レギュラー、『ぴったしカン・カン』司会として、全国的な人気を得る。

1978年1月、『ザ・ベストテン』司会。同年4月、『土曜ワイドラジオTOKYO』パーソナリティ。

1979年6月、TBSを退社。

1985年10月7日、テレビ朝日の夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタート。

メインキャスターを務める。

『ニュースステーション』降板理由

18年間続いた報道番組「ニュースステーション」は終了しました。

その半年前に、久米宏さんは番組降板会見で「十二分にやった」「スタミナ切れ」「2000年1月からの3年契約がすでに終了している」など、このように降板理由を説明しました。

しかし、降板について多くの憶測が囁かれ、特に指摘されたのはギャラ問題と外部スタッフが関わる番組制作体制でした

ニュースステーションの放送開始は1985年10月で、それまで人気ドラマが放映されていた平日プライムタイムに、報道番組を放送するという日本初の試みでした。

この企画は、久米さんが所属する番組制作会社オフィス・トゥー・ワンで、番組はテレ朝とこのトゥー・ワンの共同制作で、局の顔である報道番組に報道部以外の外部プロが関わる従来の常識を破るものだったのです。

そして、テレ朝からトゥー・ワンに支払われる制作費は年間70億円ともいわれ、この中から久米さんへのギャラは、破格の年間5億円とも言われていました。

このようなことからテレ朝は当時、アークヒルズへの新社屋移転のため多額の資金を必要とし、制作費が高額なニュースステーションを終了させたかったと、書き立てるマスコミもありました。

それには番組終了の4年前、テレ朝との間で契約更新に合意できなかったとして、久米さんは10月6日の番組内で「私の出演は今日までです」と宣言し、3ヶ月間降板騒動を起こしています。

金銭面が取り沙汰されるのは、こういった事情もあったのです。

さらに、いくつかの騒動もあり、反権力を貫く久米さんの発言は与党時代の自民党から何度か抗議を受けました。

このようなことから、番組終了と降板の理由となったようです。

現在病気!?

ニュースステーションの番組を降りてからは、テレビでの露出がめっきり減ってしまった久米宏さん。

そのため、ネットなどでは、”久米宏は現在病気らしい”という噂が広まっているようです。

年齢的なこともありますし、久米さんは病気なのでしょうか。

調べたところ…

久米宏さんは病気ではありませんでした。

以前はテレビ中心に活動されていた久米さんですが、現在はテレビよりもラジオの方がメーンに活動されているようです。

レギュラー番組もあり、毎週土曜日13:00~14:55のTBSラジオ『久米宏ラジオなんですけど』で、番組を担当して元気に活躍されています。

こちらの番組は、なんと2時間久米さんがトークされています。

大ベテランの久米さんやはりアナウンサーとして、まだまだ現役でいらっしゃいます。

さらに2017年9月13日には、『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』の自伝を出版し、執筆業にも精力的に活動されています。

1985年10月に開始したニュースステーション。

久米さんが考えたコンセプトは「中学生がわかるニュース」だったそうです。

今では当たり前になっている「模型」「政治家の人形」を使ったニュース解説を、日本のテレビで初めて取り入れたのも久米さんでした。

このような新たな試みと改革をされてきた久米さん。

今後の活動もまだまだ注目です。