日本を代表するサッカー選手、宮本恒靖。
そんな彼ですが、一言では言い表せないような壮絶な人生を歩んできました。
今回はそんな彼の軌跡について振り返ってみたいと思います。
プロフィール
生年月日 1977年2月7日
出身地 大阪府富田林市
身長 176cm
体重 72kg
ポジション DF
利き足 右足
クラブ
1995-2006 ガンバ大阪
2006-2009 レッドブル・ザルツブルク
2009-2011 ヴィッセル神戸
代表歴
2000-2006 日本
監督歴
2017-2018 ガンバ大阪U-23
2018-2021 ガンバ大阪
職業 サッカー指導者
学歴 FIFA大学院修了
宮本は大阪府の富田林市にて生を受けました。
三歳年上の姉がいます。
父の宮本恒明は東京大学を卒業後、関西電力に入社し、常務取締役にまで登り詰めました。
その後、造幣局の監事などを務め、現在は関西電気保安協会の理事長を務めています。
母親の宮本弘子は英語教師であり、堺市教育委員会学校教育部長を務めたこともあります。
宮本は小学校に入学するとソフトボールを習い始め、当初、野球選手の道も考えていました。
しかし、小学5年生の時にサッカーに出会い、宮本はソフトボールをやめてサッカーを始めました。
なお始めた当初は、ディフェンスではなくフォワードであり、今とはプレースタイルがかなり異なっていたそうです。
宮本は地元の富田林市立金剛中学校に進学すると、そこでサッカー部に入部し、めきめきと頭角を現していきます。
中学二年生の時には「全日本選抜中学生大会」、日本ジュニアユース代表候補合宿に招致され、全国区の選手として注目されるようになりました。
また宮本はサッカーだけでなく勉学にも励み、大阪府英語暗唱大会で優勝したこともあります。
そして中学校三年生になると受験勉強を必死で行い、その甲斐あって大阪有数の進学校である生野高校に合格しました。
高校時代は部活には所属せず、出来たばかりのガンバ大阪ユースにてキャプテンを務めました。
1993年にはU-17日本代表に選ばれ、日本で開かれた世界選手権にてベスト8の成績を記録しました。
その翌年にはJユースカップにて優勝を果たし、タイトルを獲得することに成功しました。
高校卒業後の1995年に、ガンバ大阪のトップチームに昇格を果たし、同期の中では一番の出世頭となりました。
宮本は1996年から1998年ごろにはボランチで起用されました。
しかしなかなか芽が出ず、出場機会もそこまでありませんでした。
そのような事もあって宮本はサッカー選手の引退も考えるようになり、第二の人生に対する備えとして同志社大学経済学部へ進学しました。
しかし、1997年10月4日に初ゴールを決めてからは途端に出場機会が増え、宮本は大きく注目されるようになりました。
2000年にはトップチームの主将に選ばれて、オールスター戦にも得票一位で選ばれるなどしています。
一方で半ば保険代わりに進学した同志社大学も練習や試合の合間を縫って通学し、選手生活と学生生活を両立させていたのです。
そんな中宮本は大学卒業を控えた2001年1月、イングランドサッカーのトップリーグであるプレミアリーグに所属していたウェストハム・ユナイテッドFCへの移籍を試みます。
しかしイギリス政府から労働ビザが降りなかったことにより、宮本の海外移籍の夢は儚くも潰えました。
嫁・光子との関係
宮本が後に結婚することとなる光子と出会ったのは高校時代であり、当時、高校一年生であった宮本が、高校三年生の光子に一目惚れしました。
夏休みに宮本は光子に告白し、見事OKを貰いました。
その後、高校・大学と通して交際を続け、大学を卒業した2001年の8月に見事ゴールインを果たしました。
二人の間には2003年に長男が生まれ、現在18歳です。
宮本がフランス行きの飛行機に乗る直前に長男が生まれたとのことであり、このエピソードは度々テレビで語られています。
息子もサッカー選手を目指しているとのことであり、引退試合にも登場しました。
また2007年6月に娘も生まれており、現在14歳です。
現在
宮本は2016年にガンバ大阪ユースの監督に就任し、今度は監督としてサッカーと向き合うようになりました。
また2017年にはガンバ大阪U-23の監督に就任し、また活躍を続けました。
2018年にはトップチームの監督に就任を果たし、持ち前のコミュニケーション能力を生かしたチーム運営をするようにしました。
またチーム全体だけでなく、選手一人ひとりにも目を配って指示をするようにした結果、チームの成績はみるみると向上していき、就任時の16位から9位にまで順位を上げることが出来ました。
翌年の2019年にはリーグ7位を記録し、2020年はリーグ2位、天皇杯準優勝の好記録を残しました。
2021年は低迷し、監督を解任されたものの、宮本の手腕が色褪せることはないでしょう。
いかがでしたか?
宮本が文武両道で学業にも励んでいたことは少し意外でしたね。
母親が英語教師であったことが、宮本が早くから海外志向だった遠因ではないかと感じます。
今は少し調子が悪いのかもしれませんが、宮本の今後の活躍には期待できます。