反社会的勢力が主催する闇営業が暴露され、吉本興業から契約解消処分を受けた雨上がり決死隊の宮迫博之さん。
最近では、ボランティア活動を始めたこともあり、メディアにも登場する機会が増えていますが…今後、引退するとの噂も浮上している?
プロフィール
宮迫博之(ミヤサコ ヒロユキ)お笑いタレント・俳優。
1970年3月31日生まれ、大阪府出身。
B型。
吉本興業の養成所である吉本総合芸能学院出身(7期生)。
1989年に、蛍原徹とともにお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成。
フジテレビ系バラエティ『エブナイ』内の企画で生まれた『くず』として、シングル「ムーンライト」でCDデビュー。
自分の頬を叩き、両人差し指を前に突き出し「宮迫〜です!」が自己紹介のギャグである。
この一連の動きでは頬を叩くのは2回と勘違いしている人が多いが、実際には1回しか叩いていない。
これは元々、自分の頬を叩く「俺はアホかっ」(もしくは「俺のアホっ」)という自虐ギャグから派生したものであり、これに「太極拳の型を加えた(本人談)」ものである。
お笑い芸人ではあるが、元々松田優作に憧れて俳優の仕事に興味があり、俳優になるための手段として、演技の勉強のためにお笑いをやっていた。
実際、俳優活動には積極的で、お笑いタレントの出演として期待されるものとはかけ離れたシリアスな役、悪役なども多くこなしている。
演じる役の大半が東京出身の人間であるため、標準語を使って演じることがある。
嫁との関係
芸能界きっての恐妻家と知られている宮迫博之さんの嫁。
嫁とは同学年である18歳の時に知り合う。
以後6年間に渡り交際していた。
しかし宮迫博之さんが「先が見えない。養えない」といった理由から別れることに。
その1年後に、宮迫博之さんが東京に進出。
1998年、バッファロー吾郎さんと同居していた中で、嫁からの突然の電話。
「今すぐ結婚するか、もう二度と会わないかどちらかを選んで」
その言葉で「結婚」を選んだ宮迫博之さん。
それから2週間後に「結婚式場決まったから」といわれるなど、終始嫁のリードにより結婚にまで至る。
結婚後も尻に敷かれる生活ぶり。
2001年には第1子が誕生。
恐妻家エピソード
・長男の弁当は宮迫博之さんが作る。
・疲れていても掃除やゴミ出しをさせられる。
・離婚してといえば「一生笑えなくしてやる」と返ってくる。
・「誰のおかげで暮らせているのか?」と尋ねれば「2秒で離婚される」
・嫁のために作った料理を、違うものが食べたいからと作り直すことになった。
・体調が悪い時にも、病院にすら連れて行ってもらえなかった。
など、かなりの恐妻家ぶりが暴露されています。
そして「オフホワイト」発言したことでも有名な宮迫博之さんの浮気問題。
その当時、出かけようとした宮迫博之さんに「執行猶予中やからな」の一言が…。
でも、その言葉には愛情があるから言えるんでしょう!
事実、宮迫博之さんが胃がんになった際には、ショックで食事が食べられなかったとか…。
さらに、浮気問題に関しても、最終的には自分に非があったとし、私が助けるよ。との言葉もかけているそうです。
なんだかんだで、ラブラブな関係のようですね。
宮迫博之さんのYouTubeにも出演するなど、言葉通り支えていらっしゃる素敵な奥様です。
引退説や現在については次ページから!!
元神奈川県警の小川泰平さんが、金塊強奪犯と刑務所で面会したときの話をTBSでしていました。それによると、1.強奪犯は宮迫氏と前から知り合いだった 2.トイレの出入り口で待っていて写真撮影を依頼したのではない(そんなミーハーではない) 3.自分は謝礼を払っていないが、他の3人のだれかが払っているかどうかは知らない 4.宮迫氏がだれと飲んでいたかは知っている。とてもテレビで出せる名前の人ではない。少なくとも宮迫氏がいうような友達ではない。大事なことはボランティアの姿勢だけでなく、その前に、彼が反社とどのくらい深く付き合っているのかいないのか?彼はクリーンなのかを明らかにすることです。ボランティアを含め、かれが発する情報で判断してはいけません。今回は「オフホワイト」などというふざけた言葉では済まされません。ぼくは、さんまさんが宮迫氏を受け入れ後々禍根を残すことがないことを望んでいます。