プロゴルファーとして数々の偉業を成し遂げ、注目度の高い女子プロゴルファーだった宮里藍。
しかし、2017年シーズン限りで引退されました。
その引退理由とは?
引退した現在の宮里藍の姿も話題になっています。
プロフィール
宮里藍(ミヤザト アイ)元プロゴルファー。
1985年6月19日生まれ、沖縄県出身。
B型。
宮里聖志、宮里優作(同じ誕生日)の2人の兄を含め、兄妹3人全員がプロゴルファーであり、合わせて「宮里3兄妹」と呼ばれる。
「藍」は、辞書で最初の方に出てくる名前であり、トップがとれるようにと父が名付けた。
4歳からゴルフを始め、日本ジュニア選手権、日本アマチュアゴルフ選手権などで優勝。
2004年にプロに転向し、ダイキンオーキッドレディス、サントリーレディスオープンなど、数々の大会で優勝し話題となる。
2009年にはエビアンマスターズで米ツアー初の優勝、翌年には世界ランキングで日本人初の1位となった。
2017年9月、プロを引退。
兄の宮里聖志、宮里優作もプロゴルファー。
17年5月、今シーズン限りでの現役引退を表明。
2018年6月21日、かねてから交際していた、米ツアーに本格参戦した2年目の2007年から現在までマネジャーを務めている座親匠(ざおや・たくみ)と、33歳の誕生日である6月19日に入籍したことを発表した。
なぜ引退した?
2017年5月26日に突然、2017年シーズンの終了をもってツアー現役生活を引退すると発表された宮里藍さん。
引退の真相は何でしょうか?
考えられる宮里藍さんの引退の最大の真相は、プロゴルファーとして宮里藍さん自身が、納得できるプレーができなくなったと判断されたからではないかと考えます。
確かに最近では、ツアーでの優勝から遠ざかっていて、思うような結果を残せず、そのことも引退の真相かもしれませんが、納得のプレーができていればモチベーションを維持して、優勝のチャンスを虎視眈々と見据えながらプレーを続けられると思います。
しかし、日米の若手に比べ、1Wドライバーの飛距離が30ヤード近くも引き離されることや、平均パット数年間第1位の実績もある生命線のパットが、使い慣れたパターが壊れて以降、なかなか思うように決まらなくなっているとも報道されています。
では、なぜこの時期に引退発表をしたのでしょうか。
これは推測ですが、2003年11月に最初の所属契約を結んだサントリーに対して、6月8日開幕の「サントリーレディス」前のこの時期での引退発表が、せめてものサントリーへの恩返しになると考えたのではないでしょうか。
現在、何してる?
では、2017年をもってプロゴルファーから引退した宮里藍さんは、現在どんな活動をしているのでしょうか。
宮里藍さんのSNSなどをみると、ゴルフに関わる活動はされているようです。
2018年6月には、宮里藍サントリーレディースオープンに、アンバサダーとして参加しています。
また、2020年に開催される東京オリンピックの、ゴルフ競技のコーチを務められる可能性も噂されていますが、それに関しては「自分の中ではコーチとしてのスキルは全く無いので、東京五輪までの間にそれが培えるかどうかはすごく難しいと思います。しかし、そういうお話を頂けるのであれば、すごく光栄だとは思いますが、そこはちょっと慎重に考えたいと思います」と語っています。
今後どういう展開になるかわかりませんが、宮里藍さんが選手ではなくてもゴルフを通して、活躍される日を見られるかもしれませんね。
さらに、宮里藍さんは2018年6月19日に結婚していたことを、自身のブログで明らかにしました。
宮里藍さんの旦那さんは「兼ねてからお付き合いしていた方」と書かれていて、そのお相手はマネージャーの座親匠(ざおや・たくみ)さんです。
引退から1年して落ち着いてきたので、結婚を発表したようです。
宮里藍さんの引退理由は「モチベーションの維持が難しくなったこと」が、一番の決め手となったことを告白されました。
引退発表会見では4歳からゴルフを始めてからと、プロになってからの14年間を支えてくれた方々に、感謝の気持ちでいっぱいと語った彼女。
現在は、結婚され今後はプライベートでも、幸せな結婚生活を送ってほしいですね。