1998年にサッカー日本代表監督に就任し、U-20ナイジェリア世界大会準優勝、シドニー五輪では32年ぶり準決勝進出、レバノン・アジアカップ優勝など、さまざまな実績を築いたトルシエ監督。
そんなトルシエが現在は意外な仕事に!
収入なども詳しく見ていきましょう。
プロフィール
🇷🇺#ロシアW杯🇯🇵
「日本はワールドカップで苦しむ」元代表監督トルシエが見た抽選会の結果は…#日本代表 #daihyo #samuraiblue#トルシエhttps://t.co/4xAyfuFqjI— GOAL Japan (@GoalJP_Official) December 4, 2017
生年月日 1955年3月21日生まれ
出身地 フランス(パリ)
6人兄弟の長男として精肉店の職人の家に生まれる。
11歳の時パリ交通公団のチーム・USメトロに入団。
フランスリーグでプロサッカー選手となるも、2部リーグどまりで、膝の故障が原因となり28歳のときに引退。
その後指導者に転向し、U-15フランス代表監督を皮切りに、フランス2部3部リーグのチームで采配をとったのち、ナイジェリア、南アフリカ、モロッコなどアフリカ諸国でサッカー監督として実績を積む。
そして1998年から2002年までサッカー日本代表の監督を務めることに。
監督としての手腕を評価されアフリカでは「白い呪術師」とよばれていました。
フラットスリーと言う、ディフェンダー3人をフラットに並べて高く押し上げるなどの特徴をもつ戦術は、トルシエが日本代表監督時に初めて採用したもので有名。
2006年3月に在住地のモロッコで、夫人とともにイスラム教に改宗しムスリムとなり、本名・ムスリム名を「オマル」に。
その後も仕事上ではフィリップ・トルシエを使用する。
日本代表監督としての功績
アジアのサッカー後進国だった日本が、アジア圏の強豪国の一角になり世界を見据えたサッカーをするようになった
転換点がトルシエジャパンでした。
トルシエが指導した’76~’79年生まれの選手は今でも現役が多い黄金世代。
それはそれだけトルシエジャパン世代の選手が今の日本サッカーの根幹になっているということです。
1998年に悲願のワールドカップ初出場を果たした日本。
しかし結果は三連敗で予選敗退。
そんな日本のサッカーを広く世界に認知させたのは、フランス大会後に代表監督に就任したトルシエでした。
大きなリアクションとユーモアセンス、その強烈なキャラクターはお茶の間でも大いに話題に。
意気消沈していたサッカーファンの前に登場したトルシエには、強い意志と自信が溢れており、ユース代表やオリンピック代表の監督を兼任し若いプレーヤーを世界から注目される選手に育て上げていきました。
そして2002年、日韓ワールドカップで日本を初の決勝トーナメントに導くのです。
また、トルシエは協会やメディアとの間に確執がありましたが、結果それが多くの話題を提供することとなり、サッカーを社会現象に高める役割も果たしました。
低迷していたJリーグの人気を回復したのも、トルシエ効果だったのです。
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トルシェ監督・・・あの醸し出す雰囲気と甘いマスクに憧れて大ファンでした。当時のサッカーにも力が入りました。人生を楽しんでる様子が伝わり嬉しいですね。